生きる上で,目的のない散歩
ガツガツしてる過程の方が好きなくせに
結果を求めるのはおかしいのか
そのくせその結果っていうのが何か分からず
何かに向かって歩く
*
あたしが今ひとつぼやぼやしていたのは
これ!っていうものが決まってなかったからでしょう
資質とか備わってるものだけでなく
後からついてくるような興味でもいいんだと思う
子供のときから好きなものを考える,
とかよく言うけど
*
世の中の道理を頭の中で文字にするのが大好きな子供でした
その文字を頭の外に出してやることはもっと好きでした
今の生活を保ちながらできるのであれば
幸福論も人生観も
それだけを考えて生きていたい。
でも今の状態に固執して考えが浮かばなくなるのは嫌で
常に何かに励んでいたい気もして
自分をもっと頑張らせたい,
どこかに連れて行きたいと自分で思ってる
ちょっと逆説的かもしれないけど
「どこか」じゃなくて
もっと明確な「あそこ」に行けるようにしないと
がむしゃらさには意味がないんだね
(矛盾してるように見える笑)
*
常に「今よりもいいどこか」を目指すことで
特に変えなくてもいいぐらい幸せな生活を手に入れたあたしは
この幸せを手放しで喜んでいることもできず
もちろん「どこか」にもたどり着けていない
そりゃ違和感も欠如感も感じる
満たされてはいるけど達してない訳で
何でどう達するのかも
わかってなかった
*
何で専門性を極めるかを
決めなきゃいけないときが来てしまった
ただそれだけ