「私は聖人君子になりたくて勉強なんかしませんよ」
聖人君子になりたいなんて理由で勉強する人の方が少ない
言い切ったその先生をかっこいいと思った。
理由はもっと別のところにあるということ
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「いつも笑顔で・前向きに」生きることが善とされる風潮の前では
しんどい顔をすることは悪だし
「努力は苦しいもの」だからこそ美徳とする風潮の前では
楽しい頑張りは努力ではない
人間の常識って
たくさんの人がつくり上げた正しさの中から
自分が納得できる正しさを選んでいるだけであって
(もしくは自分が正しくなる正しさを選んでいて)
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聖人君子になれるから勉強が尊いなら
あたしは勉強しようともしないだろう。
なおかつ違う方法で
聖人君子に近づこうとでもするだろう
っていうと意味が分からないけど,
まず聖人君子っていう言い方がよくない。
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きっと勉強も努力もしんどいことが多いんだと思う
だからそれをするには理由が必要で
動機付けがないと取り掛かることもできない
その動機は人によって違うと思うんだけど
大義名分というか,多くの人を納得させるためには
聞き映えのする理由がいる
おあつらえ向きの理由なんて用意できないあたしは
「なんでそれをするの?」に答えられない。
その質問をする人の意図は明確で
「しんどいことを理由なくする訳がない」という前提の上に成り立つ
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そして他人の納得なんてあんまり大したことじゃないと気づき
自分自身の納得が得られていないことに気づく
納得できない理由がそれもまた他人にあるのなら
あたしはきっと何もできない。
自分がどこに向かってるか分からないから
違和感ばかり感じていることも分かってる
怖がったり嫌がったりしてないでとにかく
自分の中の欲を引き出そう
きっと自分はその先に向かおうとするはず
(幸せすぎる悩みだね。)