それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

相手を限定するということ。

メールとか来て約束して毎日人に会って

毎日誰かと電話なり直接なり個人的にお話して

リアクションをしたりもらったり。

約束してなくても

偶然すぎる出逢い方をしたり(in茶室)

 

ビジネスコンテストに応募しようと思ってた頃とは

忙しさの内容が違うのを感じていて

同じ「困惑する」のでも

質が違う気がする

 

そんな生活を送っていたら

将来どう生きたいかがちょっと見えてきました

 

「人の人生が見えるビジネスをしたい」と思ったのが5月

婚活ビジネスの延長に「人間を大事にする社会」を

描こうとしたのが9月末

 

遠くにあるままでは理想は理想のままで,

遠くの目標を手前に持ってくる作業が必要だと思う

 

それでいて

目の前の目標を消化していくだけでは

人生がすり減っていってしまうことも分かった

 

ビジネスプランの"理念"の部分は

なんというか,職を考えるときに軸にしてもいいと思う。

ビジネスプランに費やした時間を無駄にしたくないし(><)

理念は目標と互換可能かなぁ。

 

 

少しはいろんなとお会いしてきて

でもちょっと量的にはセーブしてる。

"多くの人に逢うこと"は

単純にはそんなに理想じゃないから。

 

たくさんの人に出逢うって必要不可欠

でも「不可欠=最重要」とは限らないと思うんです

 

「たくさんの人に出逢った分

たくさんの人に忘れられていくことが

悲しくないのか?」

って思う自分がいるうちは

人との関わり方は現状のままにするか

まぁ「忘れられないような自分になる」しかないでしょうね

 

 

あたしが時間を遣える相手って

本当に一握り以下で

でもその一握り以下の人々のおかげで

こうして生かされています

 

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