それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

起き上がりこぼすために。

学部卒業後に海外の大学院に行くことを目的にしていたあたしですが

海外に出て欲しくないと思っていた親からしたら幸いなことに

当然のように語学力が足りず()

1年なら留学していいというお達しが出たため

院の途中で1年(か半年?)交換留学に行こうと思ってる。

 

今から1年半~2年後に海外の院に行くとかいう

50回ひっくり返っても叶わない目標を背負っていた時代は

やりがいというより絶望しか感じなかったけど,

50回ひっくり返るための時間を創りだすことで

負担を軽減してみた。

ちょっとでも実現可能性を増やしたい。

ひっくり返って叶う目標なら,n回転んでn+1回起きればいい。

 

 

今いる学科の院に進んで,

他大学や他学部に移るために使う時間を英語や茶道研究に回したい。

海外で暮らすことが第一の目的なら,日本語教育の院も捨てがたいけど

とりあえず今いる大学の院に行くことは確定させるべき時期だ。

 

幸い親も納得してくれているものの

あたしの研究がもやっとしすぎて親も不安になってる笑

切り口をはっきりさせるだけの力量がないなら

院に行かない方が幸せかもしれないと思ったので今が正念場。

 

 

身の回りにいる人が今と異なってたら

こんな決断はできなかっただろうな。

誰といるかによって次なるフェーズは異なってくると思う。

 

たくさん出逢って,素敵な人もたくさんいて,その出逢った中で誰と過ごすか。

だからこそ,去年の末にあたしが設定した目標は念頭におかなきゃいけない。

「この人間関係でいいのか常に自問自答する」

 

今は人間関係を保ちたいっていうのが大きいけど

もし結局保てなくても

当初の「海外の院に行きたい」っていうのは叶えられると思うから。

 

どう転んでも起きなきゃいけない。

どう滑っても,それは自分の欲を満たすための怪我であってほしい。

ただ単に怪我しただけで意味を持つことはあまりないなと感じてる

 

 

決意というか

今現在こう考える自分がいることは書き記しておかないとと思って。