筋を通すこと/点と点を繋ぐこと
10月1日で,このブログを初めて1年*1になります。
いいんだか悪いんだか,1年前に描こうとしていた道の上にあたしは立っていません。
去年はまだベンチャー関連のサークルっぽいものの立ち上げに関わって副代表をしていて,絵に描いたような意識の高い学生だった。もともとビジネス書は好きでビジネス自体には興味があったけど,経営者とかに会うたびに「起業するの?」って言われることが,なぜか苦痛でたまらなかった。
それは哲学を勉強して研究者になりたかったはずが,なぜか教育学部にいて,教育学をするわけでもなく哲学をするでもなく,ビジネスもどきに手を出してる自分が嫌だったから。
筋が通ってることが理想だったけど,その理想から一番遠いところにいた。それをその辺の社会人やら意識高い人たちに責められてる気がしていた。ビジネスサークルをしながらも「自分は研究者になりたい」って言えてたら,あんなに苦痛に感じることはなかった。
自分が何をしたいかが決まっていることは,少なくとも安心感はもたらしたと思う。何か突っ込まれても,自分のしたいことは他にあるって言い逃れられるっていうのもあるけど,「起業するわけじゃないのにそういうサークルにいる自分」を自己否定せずに済むというか。違うところで自分を肯定できてたと思う。
立ち上げから関わって主専攻以上に一番時間を割いて,なぜそれをしているのか分からなくなるっていう自己矛盾を抱えながら,時間配分はなかなか変えられなかった。
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目の前のものに必死になっていたら,選択肢が用意される。そして,人生がいかにも変わるようなチャンスは思っている以上に落ちていない。
選択肢を前に「する/しない」を選んでいられるほどチャンスは待っててくれない。選択肢が選べる時が来たら「する」という決断をしよう,と決めておく。変な話,決断は判断の前にしておく。
流れ込んでくるように見えるチャンスにも能動的に食いつきながら,わざわざ選択肢を自分の前に用意されなくても選んでいくことも同時進行。そうやってチャンスをかき集めても,いい変化ばかりが得られるとは限らない。
行動した後に何が起こるか分からないものの,「しない」という選択をしていたら何も起こっていないことだけは確かだった。大学1~2年の頃のあたしはこの繰り返し。
「なぜそれをしているのか」と聞かれて理由を答えられないやつは,何もしないほうがマシかもしれない。
ただ,「なぜそう生きているのか」という視点で見れば,あたしの生き方は一貫していたほうだと思うけど。
そうやって掻き立てられるように生きていて,そのくせ勝手ながら周りの大人たちに萎え,自分が頑張るべき舞台はビジネスじゃなかったんだろうな~と感じて,団体からフェードアウトした。この判断も,傍から見ればただの気まぐれとか逃げでしかない。でも,もうしんどかった。
団体をつくる程度にはビジネスもどきに注いでいた時間が惜しくて,結果を求めようとしていたし,結果が出ないと本当に何のために必死になってきたのか分からなかった。でも,ビジネスもどきはあたしのやりたいことではなかった。そこに時間を費やしてきたこと,でもそこで必死になれるほど頑張る気力も残らなかったこと,全部残念だった。
それが,このブログを始めて1ヶ月以内に起こった出来事。*2
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さらに冗長になってしまうので割愛するけど,その後海外で日本語教師をしたりして,やっぱり大学院に行きたいって気持ちと,海外に行こうって気持ちが湧いた。「なぜそれをしているのか」の理由の部分ができたかのように見えた。茶道をしつつバックパッカーみたいに旅をしてみて,こういう生き方をしていけたらとも思った(どんな生き方だろうか)。
ただ,それまでの大学生活の軌跡とあたしの進路は依然として結びつけ難く,人に責められてるような感覚は消えなかった。相変わらず教育学部にいるし。
生きることについて考えることを哲学だと思っていたような節があって,昔からそれがしたいことだった。でもあまりにも漠然としてるせいで,言ったら余計に人にとやかく言われるような目標だったから引き続き自信がない。それでも結局とやかく言われる目標を立ててしまうんだけど。
人生が変わるようなチャンスはなかなか落ちていないと上で書いたけど,その考えが問題だったことにしばらくしてから気づいた。正直,自分の武器になるようなものをこれから見つけていくような年齢じゃない。
例えばしゃぼん玉とかが将来の職業になる訳ないと思って,人は仕事になりそうなものを求める訳だし,どう社会で生きるか/活かすか考える必要ってもちろんある。
でもそれとはまた違う次元で,今持っているものを磨いていくことでしか開けないチャンスもある。あたしだって,茶道で生きていくと思って続けていたわけじゃないことは確か。
そんなとき,「ビジネスサークルの代表やってると起業するの?って訊かれるのに,茶道やってて茶人になるの?って訊かれないのはなんで」って考えが芽生えた。「起業するの?」には不快感しかなかった自分だけど,「茶人になるの?」には「はい」って答えられる。
「茶道してます」って言っても「茶人になるの?」って訊かれないのは,茶人っていう人種(?)が珍しいせいだと思ったので,自分が茶人になろうと思いました。とかでいいんじゃないのか,理由なんて。
「茶と共に生きるのが茶道」みたいなことを言い出す文献もあるので,「茶人になる」という定義は難しいけれど,あたしもお茶と生きていけたらいいなと思ってる。茶筅と抹茶を持って旅できたらなお。
ここに書くだけならタダなので言うけど,最初英語で書かれ,日本でも茶道を学問の域に高め他の遊芸と茶道を分ける契機の一つになった岡倉天心の「The Book of Tea」のような本を書きたい,というのが今の野望。
あたしが書いたらただのエッセイ本になるかもしれないけど,したかったのは人生について考えることだったはず。もしエッセイを書くことが生き方について考えることに近いと感じられたら,それが何より。『あたしはこうやって生きてます。with Tea』ぐらいがいい(真顔)
大学院に行く・海外に行く・茶人になるっていうのは途方もなく見えるけど,闇雲にチャンスを掴みにいってたベンチャー時代よりも遥かにマシ。
とやかく言われることを恐れてないで「茶道の哲学について研究したい」って指導教官に言ってみたら,社会教育(学校外の教育)の視点で茶道について卒論を書かせてもらえるようになった。院での論文につながるように,っていう教官の配慮だった。
あと,副専攻で取ってた日本語教育の学位がそのまま日本語教師の資格になることも後から知って,何をしながら茶道をするかも具体的に考えるようになった。
今まで何のメリットも無いように感じてたけど,教育学部であることも活用していかないと今生きてる時間がもったいない。今持っているものを活かすってこういうことかもしれないし。
将来やりたいことができるようになるための最短ルートは,今やりたいことをすること。
年齢的にも,それができる最後のチャンスかなと思ってる。一貫性が無いとか筋が通ってないとか言うのは簡単だけど,あたしが生きてきた点をぐにゃぐにゃ繋いでいくことの方がよっぽど骨が折れるんだよ。
でも,こうして長々書いてみたら,なんか将来点が繋がっていくような気がする。