それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

人生で起こることの全ては布石である。出逢いとか。

茶道を数年続け,いつの間にか卒論の研究対象にしてるというのに,いつもパンツスタイルだから正座するとすぐ足痺れるし,唯一の嫌いな食べ物は粒あんだし(こしあんは茶道を始めてから克服した),全体的に茶道は向いてないと思ってた。そんなことを言い出したら英語だって第二言語習得が絶望的だと言われる20歳から本格的に始めた。あたしがやりたいと思ったことはたいてい,向いてないんだと思うし客観的に見てもやめておいた方がいいのかもしれない。

茶道をしてることは,海外ではあたしのアイデンティティになった。茶道はサークル程度しか嗜んでなかったけど「The book of tea」を読んでから茶道がなんでこんなに深淵に描かれてるのか興味もったし,日本より海外で読まれてることを考えると英語で書くことに意味があるのかもしれないと思い始めた。そして哲学という漠然としたものの切り口として茶道を選んだ。茶道と英語をしていくことは,決意しようとして決めた訳じゃない。

哲学科に行くことだけ考えて生きてたらいつの間にか教育学部にいて,全く何も期待していなかった先で想像もしていなかったぐらい楽しく過ごせている。教育学部自体が楽しかったというよりは,それとはあまり関係なく予想もつかない形でたくさんの出逢いがあって,人生が転がっていくのが楽しかった。12歳ぐらいの時に出逢った人がきっかけで,あたしにとって出逢いって大事なものだった。自分をあそこまで変えてくれる,きっかけであり原動力だった。某所で一文字書かなきゃいけなかったときに書いたのも「逢」だ。

某相互添削サイトで茶道に関する作文を載せてたら「I love the phrase 一期一会 which I learnt during a tea ceremony lesson.」とコメントをいただいた。そうか,茶道の心得と言えば一期一会だよなぁと今さら思ったのがなんと一昨日。一期一会って本来どういう意味かと言い出すと長いので今回は割愛して,茶道向いてないとか,なんでやってるんだろうとか考えるよりもっと深層の部分で,あたしには茶道に親しむ理由があったし,ハマるべくして傾倒した。茶花も好きだし和菓子だって粒あん以外は好きなんだ。

 

どんなに身を委ねて流れていっても,繋がるところは繋がる。向いてないとか能力が足りないとかそんなことを超えたところに,その個人のやるべきことがある。本当に大事にしたいものがある。人間関係でも,「気が合う」ってすごいこと。自ら繋げようとか合わせようとかいう努力をして実を結ぶことは本当に少ない。

 

あたしが選べなかった選択肢,たどり着くことのできなかった場所も,腐るほどある。でも自分がちょっとやらかしたぐらいで消えてくような選択肢が,本当に何かに繋がってるなんて考えられるだろうか。消えていった選択肢を選んでいたらどうなってたかなんて一生分からない。その上で何か少しでも確からしいことを言わせてもらうならば,あたしが選べたこの選択は,あたしが体験できた中で一番楽しい。

一言で言ってしまうと全然意図を汲めないけど,「選べた」ということはそのものが縁。茶道で研究をしていくことや英語の勉強をしていくことに不安ばかりあったけど,それらは「消えなかった選択肢」だ。もちろん大学院の合格がもらえるかとかは不確かだけど,その結果までの過程はすべて消えなかった選択肢の積み重ねで,それだけ縁のある選択肢が導いた結果なら,「自分が体験できる中で一番」楽しめると思う。

 

どんな人生を歩もうと,あたしは自分を飽きさせない。出逢った人やものに最大限感動させてもらいながら,心をぐわぐわ震わして生きていられる。

出逢いが大切だと言っておきながら,自分は血と涙も鼻血程度しかない人間なんだと思ってた。人付き合いは悪くないけど交友関係は狭く,自分を好きだと言ってくれる人にこれ以上ない罵声を浴びせ,バサバサ切り捨てても涙も出ない。本当に人間を好きになれたことが,ここ数年でどれだけあっただろうか。

相手に不穏な感情を抱いてしまったりすると,嫌いなときも好きでいることの重さを感じた。好きで居続けるというのは,不断の普段の努力によるもの。アランも言ってるけど人間なんて放っておけばマイナスに傾きやすくて,プラスに傾くには忍耐と努力が必要。

だから,好きで居続けられるだろうなって思えるだけじゃ足りない。でも好きで居続けたいって思いがないと,忍耐も努力も湧かない。そして,それを忍耐や努力だと思わなくなるようになるのが理想なんだろう。相手も同じように考えていてくれれば,忍耐や努力を苦労のように考えないかもしれないな。

どんな形だろうと好きだと心からスッと言えることと,それが一過性のものじゃないことに,人間らしさを取り戻したような気がしてる。涙だって実は,洗濯機の水漏れレベルで出る。本当に人間と人間は面白い。

 

広く人間同士の関係について話をしている。汝の隣人を愛せよ。愛せるうちに思いっきり。