それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

「循環」

今年いっぱいまで通う茶道教室の納会,つまり自分がその教室に通う最後の日の開始30分くらい前に,大学院の先輩の訃報を知らされる。納会の最中,心など全く穏やかでなかった。動揺したまま,先生や姉弟子さんに別れを告げる一方,もうこの辺りにも来ることはないだろうなと,和菓子屋さんに立ち寄り「枯葉」の上生菓子を買う。これで最後かもしれないという時にも「また来ます」と言いたくなるのはなぜだろうかと考えたが,きっと「終わりを意識するから」だろう。

枯葉は分かりやすく循環している。枯れたそばから,春を期待され,また芽吹くことが前提にある。一方で死んだ人は帰ってこない。お互い生きていたって,姉弟子さんも,きっともう会えない。和菓子を買った後に緩い雨が降り出して,別の日でもいいかと一瞬思ったものの,この枯葉の中で,茶道教室の近所の和菓子屋のこのお菓子と点てるタイミングなど,今を逃せば二度とないのだ。

一瞬帰宅し,ちょうちんと茶道具を掴んで再び外に出る。撮りながら「循環」とは何かを考えていて,気づくと点てたお茶を土にこぼしていた。雨は私が立っていた木の下を避けて降り続いている。

永遠に続くものなんて無いように,永遠に循環するものなんて無いのかもしれない。土に還した茶のように,どのような形でその茶が巡り帰ってくるのか知る由もない。私はただ,一瞬一瞬に躓きながら,寂しさを逐一忘れるような形で,常に一瞬先に期待することしかできない。

将来何が起こるかも分からなければ,過去の意味も知らない。それでも,毎日の「こんなお茶」は,その日にしか点てられないことだけは,分かっている。

 

 

「院生」という世界。

 

指導教官の授業中に就活の話題が出て話を振られたが,私は就活をしていないので同級生の話をした。指導教官に「あなたはそういうのを見て就活バカバカしいって思って院に来たのね」と言われ,いや,進学を決めたのは就活の時期より前で,私は就活してないんですけど…とまで言ったところで,気づいた。あ,就活うまくいかなくて院に来たと思われてる。実際には,うまくいかなかったのは他の大学院入試の方である。*1

隠してた訳ではないけど,自分の語学力のせいで,海外の院を目指していたことなど確かに恥ずかしくて言えない部分はある。院への進学は中学生の頃から考えていて,2年間ほど進学を放念していた時期はあったものの,最終的にはこうして念願は叶ってると考えていいのに。この「就活とかに失敗した人が来る世界」という大前提はなんだろう。

 

日本人院生のほとんどは社会に出る前であり,頭がいいと周りが言ってくれる環境の中でしか(まだ)生きていない人も多く,妙な自信に支えられている人も少なくない。

かと思えばそういう人しかいないのでもなく,院生の友達と話していたのは,「今死んでも誰も困る人はいない。遺体の処理ぐらい」ということだった。調査に協力してくれた人へのありがたさと申し訳なさに,こうして生かされているところがあるものの。

「その研究は社会の役に立っているのか」というのは根本的には愚問で,社会不適合そうな人間を世に出さずに留め置くことが大学院の役目であり,社会に出ないことが唯一自分にできる社会貢献なのだろうな。という結論にだいぶ前から達している。

と言いつつ私も社会に出ようとしているのか,今は有給インターンをしていて,修士での研究よりも学部での専攻に近い方の仕事をしている。それでお金は発生する。「この仕事は社会の役に立っているのか」。給料をもらえていれば「今死んでも誰も困る人はいない。遺体の処理ぐらい」と思わずに済むのだろうか。

 

地球上の上り坂の数と下り坂の数が全く同じであるように,「生きていてもいい人生」と「生きてなくてもいい人生」は,全く同じものを指している。

高校受験で不必要に多く失敗した頃からずっと「生きていてもいい人間」になりたいと願ってたけど,未だになれていない。けれど,どうしても突き動かされずにいられないものを見つけて,大学院に入るまでも色々失敗しつつようやく,今生きているのは「生きていたい人生」だなと思えるようになった。生きていてもいいかどうかを,ようやく気にしなくなってきたのだろう。

「社会の役に立っていれば生きていてもいい」のだろうけど,それは同時に「社会の役に立っていないなら,生きていなくてもいい」ということ。「生きていたい」と思える人生を送っていたいので,そう思える環境として今の院にいる。

研究対象にもよるけれど,突き詰めれば「この問題意識の元でこういう動きをしてるのは,世界でも自分だけだな」と思える。それは院が素晴らしいとかそんなことではなく,「そう感じられる場が会社なのか院なのか」という違いなのだ,ぐらいの気持ちでいる。

 

夢も希望も身も蓋もない話をした。

修了した後のことは,死んでなきゃ生きてるだろう,ぐらいのことしか言えない。なぜなら,私の人生では目指したものこそ叶わないから,言いたくないのだ。でも,院への進学は叶ってるので,この時間は大事に生きたい。

 

*1:実は指導教官と初めて話してから1年半ほど,なぜ私が秋入学なのか一度たりとも尋ねられたことがない。「訊かれない」ということは「話しづらい過去だと思われている」ということだったのかもしれない。私の語学力を鑑みれば,海外の院に出願していたとは考えが遠く及ばなかっただろう。

上質な「問い」であれ。

 

後輩を見て「あの子(たち)も隅に置けないな」と思うことがあり,次の瞬間には「片やこっちは隅に置かれてる感」が残り,「ここが隅ならどこが中心だよ」と自分に問うた。

冷静に考えれば,このケースではその子たちが中心だ。そもそも当事者でもなんでもなかった私は,隅でも中心でもない。なんでもかんでも渦中だったら辛いので,自分のいたい世界の中心でいてこそ,「中心と隅」という概念が活きる。

 

例えば,私がよくいう「コミュニティの中でなぜか茶人キャラが一人いる状態」では,その茶人キャラは周縁にいるのだろうか?

お稽古止まりでない,自分で茶会をしたりするレベルの人は,放っておいても「お茶とは何か」とか「茶人とは」って考えてるけど,お茶に触れていない大半の人は,そんなこと絶対に考えない。そこに茶人キャラがいたり,その人のお茶を飲んだりすると,「茶人ってなんだよ」っていう問いが生まれる。

お茶について考えてる人に「あれは茶人じゃない」とやいのやいの言われることが負けであるというより,お茶とは何かと全く考えたことのない人に,少しでも何か思わせられる人の勝ちだと思っている。隅なら隅にいるなりに,できることはあるかもしれない。

 

そしてたまに自分も「Teaist」って呼ばれたり,「さすが茶人ですね」とか言われたりして,この人どういう定義で茶人って言ってるんだろうとか思うけれど,その人なりに「茶人とはこういう人だ」っていう答えが生まれてるんだろう。私が茶人を名乗って,それに相手が違和感を感じないのなら,そのとき自分は答えにもなっているのだと思う。

 

だから私の存在は「問い」でありたい。

その存在が「答え」でもありたい。

 

お茶の世界は,中心に行きすぎると,無邪気な問いではいられない。
それでも前に出た人の一握りだけが,答えになっている。


お茶をしていたとて問いでも答えでもない人,つまり誰かの出した答えに倣ってお茶をしている人ばかりの世界に,私はいたいのだろうか。

どこの中心にいたいだろう。と考えることは,
誰に問われていたいのだろう。と考えることだった。

 

私は宇宙の形を知らないので,ここが宇宙の中心でないとも言い切れない。
今日も一個の茶筅で,世界の隅か中心で,問いを産み落とし続ける。自分自身も問い続ける。

ただそれが,私が今していること。

そしてそれがTeaismと解釈されるようになって,Tea Ceremonyに代わる言葉になってくれれば,それ以上はないと思いながら,隅だろうと周縁だろうとお茶を続けている。

まずは自身が,上質な「問い」になれるように願いながら。 

 

お茶という在り方を考える契機としての問いではありたいけれど,周りの人に「お茶の世界によくいるような批評家」になってほしい訳ではないです。

同じ「問い」を一緒に考えることができたら,幸いです。