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それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

人生を失敗したと思うな。

 

教育学部なので母校ではない附属高校に教育実習に行って,自分より賢い高校生に何やらスピーチをしなくてはいけなかった。お題は「大切にしている言葉」だった。

 

今より遥かに英語ができなかったとき,NZで日本語教師をしたときの日本語の先生にNZの南島に行けって言われて,この英語力じゃ行ける訳ないだろと断ったときに言われた言葉が,「行きたいか,行きたくないか,考えなきゃいけないのは,それだけです」。実際行けた。

この言葉のことを,体験としてそのまま話した。

 

その言葉を言われてから再来月で2年,進路に関して行きたいか行きたくないかだけを考えていたら,「一生フリーター」フラグが立っている。

 

 

ある研究室に内々定もらってたけど相手側の事情で受けられないことになって,国内の大学院には現時点で一切出願してないため,今出願してる第一志望に受かるしかない。プレッシャーになる状況ではあったけど,逆に,海外の院を反対していた親でさえそのNZの第一志望に受かるように願い出したので,良かったのかもしれない。*1

 

あたしも真面目にやってきたほうではあるので,ここまで道を踏み外した感があるのはすごい。自分は何をしてしまったんだろうか。

 

消したい出来事,むしろ頭の中ではもう無いことになっている過去や,必要以上に苦しんだように感じる数年間,あの人や物に費やさなければ良かったなと思う時間,思っている以上にある。

だけど,過去の何をとっても,それを失敗と呼ぶ気にはならないのだ。

 

運命の相手とやらは一人だけという決まりがあるのかもしれない。けど,もう関わりのない人,もう関わろうと思わない人,また関わるかもしれない人,今でも関わっている人,相手が男でも女でも,ありがたく思いたくない人も,みんな運命だったな,と思ったのだ。

お互いにとって,人生の中でベン図が少し重なったぐらいの存在の人も多いけれど,彼らがいなければこの1年間は無かった。そして,この1年を将来「失敗」と呼ぶことも絶対にないな,と思う。

 

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教育実習でした話には続きがあって,「どこかで勉強か苦労をしなきゃいけないことになるから,それなら自分の好きなことで頑張りたいよね」ってぼそっと自分の実感を言ってみた。進学校に通う彼らは「勉強しない」っていう選択肢が最初から無いことは分かってる。だからこそ,響いたようで。

あたしの場合,英語だけをしてきた。2年前帰国してからちゃんと勉強を初めて,1年間は出来なさすぎて人に当たり散らして,本当に大学院留学する決意をして,そこからの1年間でようやく英語が楽しく感じ始めたのだ。辛かった1年目で辞めてたら,あたしはそれを失敗と呼んでただろう。

心配しなくてももう少しで何らかの結果が出る。無謀な院を目指さずに安全策の果てにとりあえず何かの職に就くことと,ここまで1〜2年の曲折の先に(いったんフリーターとしてであれ)何かの職に就くことを比較したら,その職がなんであれ後者を選択すると思う*2

 

何がどうなっても,今の自分なら次から次にやりたいことが浮かびそう。

 

 

なんで考えなきゃいけないのは「行きたいか行きたくないか」だけなのか。

そういう基準で選べば納得できるからだよ,自分が。

うまくいかなくても

うまくいってるのか分からない時でも,最善だと思えるからだよ。

分かりやすく成功してるかどうかを判断するのは周りの仕事で,本当に幸せだと思えてるかどうか判断できるのなんて自分だけなんだよ。

 

あたしが大切にしてるその言葉は,指針を一言で表した。

実現して一番嬉しいことを選べばいい。

それを「失敗」だなんて,自分が呼ばない。

 


将来を決定する過程,その考察 - こ の 日 常 に 奇 跡 起 こ せ !

その言葉を言われた当初の記事があった。

書いてること今と何も変わってないけど笑,

この2年弱で,これに書いてあることは現実に近づいたらしい。

 

 

*1:最初に語学の試験を受け始めた時はその受験料やテキスト代の高さでバカにされたりしたけれど,一年後には応援してもらえるようになった。

*2:もちろん,院志望じゃなくて何かなりたい職が決まってる人は逆だと思うけど

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