それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

最高の人生のための,足し算と引き算。

 

こんなTEDトークがある。


ニール・パスリチャ:「Awsome(最高)」の3つの要素 | Talk Video | TED.com

 

この人はthe Best Blog in the World awardに選ばれたブロガーさん。日常の些細な出来事を1000個書くためにブログを立ち上げるまでの経緯と,日常の中の最高なことに気づくために必要なことについて話してる。(この人が書く1000 awesome thingsっていうブログ,必ず記事の最後にAWESOME!って書いてあるのが好き笑)

 

奥さんに「もう愛してない」と言われ,親友も自殺したような最高に悲しい時期に始めた,人生の中の最高なことを書き留める試み。

Facebookとかであるような,人に見せつけるような幸せじゃなくて,他の人も共感できる幸せ。1000個挙げた時点で数の問題にはなってるけれど,幸せは大きさの問題じゃないのかもしれない,と思わせてくれる。

 

 

幸せか,どうか。

自分がいかに充実してるかは全然伝わらない。卑近な例で言えば「進路決まったの?」「まだ決まってないの?」なんて質問は簡単で,人生の中のそういう見える部分ばかりを他人に求められる。どんなに充実していても,そういった質問にいい返事ができないうちは,幸せじゃない部類なんだと思う。もし人に院試の結果だけを教えて,それが合格じゃなかったら即,幸せじゃないことになるだろうな。人に判断されるまでもなく,悲しいとすれば自分が一番悲しいんだけど。

 

 

「今の自分はこうだから幸せです」なんてことは伝わらない。

引き算かな,と思った。

不満を言わないことでしか,「幸せである状態」って伝わらない。

 

 

例えばこの一年,不満の元みたいなものからはことごとく離れたので,「特定の何か」に文句を言う必要が0になり,相対的に愚痴は減ったはず。それでもあたしは依然として何かを得る途中で,本当に充実してた中でも周りのものに文句を言ってた。

何かが手に入ったら不満を(一時的であれ)言わなくなるのは当たり前。それが得られるまで文句を言い続けるより,何も手に入ってない状態でも不満を言わないから意味があるんだろう。

何も手に入れてない状態でもなぜかこんなに充実しているのは,日常に最高なものが転がってるからなんだと思う。もう不満を言う必要なんて,本当は無い。

 

より大きいものを足そう足そうとするから辛い。今この段階である程度以上に幸せなら,もう足そうとしなくていい。むしろ,今の段階から愚痴を減らせばいいだけなんだろうな。足すとしたら,最高のもののうち些細なものからでいいと思う。それもどこからか持ってくるのではなく,日常から浮き立たせる形で。

 

 

このブログに書いてきた記事の一つ一つは,あたしが生きた中で一つ一つ気づいたこと。それぞれが重くて大きくて,明らかに去年と違うことを考えられるようになった一年が,最高じゃない訳がない。あたしにとっては,「成長する」って「今まで考えられなかったことが考えられるようになること」だから。

 

 

また,最高な年になりますよう。