不安要素が解消されなくても。
「決断してみないと分からないだろう」
物事を決める際の相方の口癖。
決断してしばらくは,
迷おうと辛かろうとその判断を押し通すわけです
判断するまでの間にぐだぐだと悩むよりも
結果が出やすいとは思う。
”どちらにも決めない”という判断は
停止あるいは後退してるのと同じで,
絶対前には進んでいかないから
*
自分の下した判断を貫くこと自体が目的になることを
いちばん恐れているあたしとは全然違う思考法だなぁと思って。
NZにいた頃に決断をしてみた。
決断しないとあの現状のままだと思った。
どこに向いてるとも分からない必死さを重ねるより
たった一回の決断のほうが,簡単に人生を変える。
それがいい方向への変化かどうかは
決断してからじゃないと分からない
*
しばらくはNZの余韻に浸っておけばよかったのに
帰国して一週間の間に,新しくしたり一掃したりした。
部屋や茶道の道具を新しくするとテンションが上がる。
文字通り新生活なんだけど,いささか新しくしすぎたのか
今朝起きた自分は将来が怖くなっていた
新しくなるのが怖いのは
努力もせず今のままの自分でいる気満々なせい。
不安を解決しようって気持ちが足りてないんだな。
*
自分が悲しくならないように生きたとしても
何かしくじって,どこかで悲しい目に遭うもんだと思う。
予防線張っても張らなくても
結局は悲しくなった後の対処が求められる
特に,既に不安要素がちらちら見えてるような決断をするときは
現段階で憂いてたら先が思いやられる。
不安要素が現実になったときや
想像してなかった事態が起こったときに
「絶対どうにかするんだ」って決めないと
結局あたしは現状維持をしてしまう
*
サイコロ振って行き着いたコマの指示に従って
嬉しかったりめっちゃ落ち込んだり
それでもサイコロを振ることでしか前に進まない
現状のことは自分でもよく分かっているから
今は今でこういうところが幸せだって知ってる
でも,何が不満かも実によく分かってる。
幸せよりも不満を雄弁に語れるようになってしまったら
あたしの考え事の大半は無駄話だ
あたしの場合は今でさえ何不自由ないので
不満に目を瞑ることだって可能なんだけど
現状の不満と将来の不安を秤にかけても決断できないね。
実際起こってることと,起こるか分からないことなんて
あたしには比べられない
不満を放置しておくこと,
今のままでいること自体が,大きな損失かもしれない。
損失かどうかも分からないんだからね
*
決断したことで
もしパッと見は失敗したように見えても
傍にいてくれる人も 生きがいもなくなったとしても
努力したい事柄はなくならないから
大丈夫だろう