また明日は違うのさ。
人生が良くなっていく予感がするだけで
その段階で
実際にその人生はいいものだ
この「人生が良くなる予感」を感じられることが増えてきた。
廃部まっしぐらの茶道部に新入部員が入ってくれたり
ふわふわと歩いてると普段会わない友達と会えることもそうだ。
待ち合わせとかしなくても会えたり,
仲良くしたいと思ってた人が
自分と仲良くしたいと思ってくれてたり
何十年後に幸せになってるかは知らないけど
今日のあたしは幸せだと
とりあえず思っておかないと
幸せに思えるときなんてなかなか無い
*
信仰深い訳ではないんだけど
嬉しいときは「神様ありがとう!!!!!!」って思うことがある
何かに感謝したくなる
その都度「ありがとう」ってツイートしてたらリムられるであろうくらいには
嬉しくなって「ありがとう!!!!!!!」って思うことが増えた
茶道に関する卒論で「よく生きる」ことについて考えようとしてるけど
自分の無能さをどうにもできなくても
今までやってきたことが無駄ばかりに思えても
話を聞いてくれる人がいて
自由の範囲内でやりたいことができて
特別仲良い人を一人ずつでも増やしたいとかそういう願いがあるなら
相手ありきだけど きっと叶えることもできる
耐えられないことがあっても
逃げたりもがいたりして人は生きようとする
そこまでしてあたしが生きたかった人生は何かとか考えてたけど
あたしの内側にある欲を叶えてあげるために
あたしの外側が生きてる気がしてる
内側がどれだけ凹んでても
そのままでは生きていくのが辛いから
外側は頑張る
内側は勝手にモチベーションが下がったり
単純なことで跳ね上がったりしながら