それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

人間関係を良くする最初の一歩。

きっと近くにいれば,その友達がいつもしてる(らしい)貧乏揺すりが気になって仕方がなかっただろう。加えて,自らをnative speakerだっていう彼に驕りを感じていただろう。言語を持つ人はみんな何かしらの言語のnative speakerなんだよと言ってあげたい。

その後,彼がアリゾナ生まれだと聞いて,あ〜そういう意味かと考え直した。見た目はアメリカ人じゃないアジア系やアフリカ系アメリカ人が大半で,移民の子孫が市民権持ったというのが正しいと思うので,根っからの(?)アメリカ人は本当に少ない。彼の先祖も移民だと思うけどそういうのは置いといて,「native」と言われても驕りだと受け取らずに済むようになった。(これらの理解に自信が無いので間違ってたら教えてください)

 

採用時にドラッグテストがあるような国では,人を信用することもされることも本当に大変だ。ビデオチャット中にMarkが本名を教えてくれてあたしも教えたときも,「(本名教えるの怖いけど)とおいから,安全です」って相手が言ってて,あたしが「えー?If I were in Florida, wasn't it safe?笑 You don't trust me..」って言ったら,一瞬間があって最上級にええ発音の「I trust you. ...mm, ah うん」が聞けた。国の事情とか相手がどれだけ他人を信用する人かなんてよく分かっていない。自分のことですら,相手をどれだけ信用してるのか,そして人をどれだけ信用できるのかも分かってないのだ。

 

 

彼と話していると英語と同じぐらい学ぶものがあって,思うのは,距離云々よりも,理解しようとしているかどうかが大事だということと。信用してほしい人を信用するということ。

あたしに関していえば恋愛にしろ進路にしろ近況なんて周囲にシェアしないので,普段話さない人にはとことん一人歩きした推測をされているのだけど,普段話さないような人に誤解されるのなんて当たり前なんだなと思った。誤解されてもどうでもいい人とそうじゃない人を分けなきゃいけない。

じゃあそれらの誤解されたくない人とはどう接してただろう。自分から連絡したことがどれだけあっただろうか。そのくせメール無精が災いして返事まで雑になっていったことはなかっただろうか。

文字通りあたしの近くにいた人たちや,たとえ距離は遠くても関係的には近かった人たちと,どれだけの量と質で話せていたのかな。

 

 

今なんて,13時間の時差以前に睡眠障害で何時に起きてるか分からない(正しくは起きる時間が毎日ズレてく)相手と連絡を取るための努力をしてる。話してない時間も相手は録音送ってきたりしてくれてるので,あたしも自分が起きててPCやiPhoneが使える時間は話せるように合わせてる。相手が標準的な起床時間だったら逆にこんなに話せてなかったかもしれない。

話の質だって,内容はたいてい議論っぽくなるけど絶対にどっちかの第二言語で話すことになるし,難しい話は主にあたしが英語で話すから伝わってるのが不思議なぐらいだ。

時差も睡眠障害も距離も(そこまで)なくて母語同士で会話できる人間に,今までどうして合わせられなかったんだろう。どんだけメール嫌いなんだよって言いたくなる。

 

人生でどんなにたくさんの人と仲良くなれたとしても,ずっと話していられる相手ばかりじゃない。それでもきっと,たまたま出逢えた人となぜか仲良くなれたということだけで,本当はとても運がいいことだ。

そんな中で駄目な部分ばかりをどれだけ見てきただろう。嫌なものは嫌だけど,一回嫌な部分が大きくなると,それ以外に関しても合わせたり許したり譲歩したりせず言いたいことばかり言ってた。いつもいつも,相手に散々キツいことを言っ…てもまだ足りない。自分がそう望むなら穏便にフェードアウトする方法は多分あったはず。そしてそうやって終わっていたものから学べることは限りなく少なくて,あたしが白紙に意味付けをするしかなかったのだけど。

 

 

そんなあたしにも,夜通し喋っていられたり,(メール無精だけど)もっと連絡を取りたいと思ったりする女友達や,お世話になり倒してる先輩たちがいる。理由があって消えていったものより,理由がなくても自分といてくれる人達こそ大事にしたい。未だに不快なものは不快だし過去に働きかける気力も無いけれど,今仲良くしてくれてる人に対してや,誰か「誤解されたくない人」が増えたときには,最近の反省を未来に存分に活かしていかないと。と思ったので早速友達を誘ってみました。進歩。

 

お互いの理解や信用の問題は難しい。でもその難しさは,あたし側が合わせようと努力していないと絶対に解消しないのだろう。そして関係性だのという言葉で問題をややこしく処理しようとする以前にまずあたしは,自分をenjoyableにしてくれる全ての人に,どんな形であれ分かりやすく伝えるべきだ。

 

あなたがたが,大好きで,もっと一緒にいたいです,と。

 

 

 

人は問題を難しく見積もり過ぎてる。

IELTSとかいうイギリス英語中心のテストがある。その公式問題集のpdfはネット上に転がっていて,著作権とか大丈夫なのかと思いながら,あたしの英語学習を手伝ってくれてるアメリカの友達にそのURLを送ってみた。彼は発音に自信があるのか直々に吹き込んだ音声をいつも送ってくれるので,アメリカの盛んなボランティア文化によく感嘆させられている。そしてやはりアメリカといえばTOEFLなので,彼はIELTSがなんたるかを全然知らなかった。

 

以下IELTSの問題を見た彼の感想

「when I look at this book, I think.. it's a little confusing

I guess it's because I'm bothered by things I have no interest in or things like TRUE and FALSE tests hehe

it's a hassle hehe sorry

I'm lazy about it sometimes

but I would think that way if I was taking IELTS haha

I would only want to read something interesting like the book of tea

this is a problem for me

I have discipline and work hard if I like the subject, but if I don't care about it I feel so bothersome」

 

要約:IELTSってくだらないね haha

 

 

すごく回りくどく言ってる(ように見える)けど実際めちゃ直接的な物言いになってるところ,あたしの喋り方みたいでとても共感する。人が必死こいて勉強してる対象を扱き下ろせるのは,自分たちが信頼関係を築けてきた証かIELTSがよっぽどくだらないかどっちかだ。

しかしこれは,留学する必要のない人の意見。日本語は世界での重要度が低いとはいえ,日本にいたい人や行きたい人はちゃんと日本語能力試験や留試の勉強をしてる。何がglobal languageだ!今だってあたしが全て日本語で話したら会話なんて成り立たないぞ!でもこれが母語の差,言語間の力関係だ。

 

そのくだらんテストのためにあたしがしてることはなんだ?公式問題集をゆるゆる解きつつ,誰かの日本語を添削してあたしの英語を添削してもらって,文章や英語を褒められてウフフとなりながら英文Twitterでは英語でお茶トークをして,写真や英語やアカウントそのものを認めてもらいながら,毎日とは言わないまでもあなたとchattingしてるだけだろ,Mark?!(Markこれ見てないし見ても分からない)

そのchattingだって,別にテストのためじゃない。話したくて話してる。これらを受験勉強だなんて呼んだら高校時代のあたしが鼻で笑うわ。

 

そのくだらないテストすら解けてない自分はもっとくだらない。でも,TOEFLより何千倍簡単とかそういう次元でなく,このテストは本当に楽なものだと思う。それが解けたとしても大学院でやっていける保証になんてならないぐらい簡単なものに思えた。彼の話を聞いた瞬間からね。

 

 

こんな思いが錯綜した頭であたしに言えることは少なかった。

I don't think what I'm doing is studying...

Learning is not always hard or boring. 

Sometimes I feel it is... enjoyable?

haha occasionally studying is not studying. みたいなことを言った。

今あたしがしている勉強とも呼べないものはすごく楽しいので,こういう勉強もあるんだよねっていうことをふんわり。

 

 

彼はaa sounandesu, sou nandesuyo, I agreeと,いたく納得していた。そしてそのくだらないテストを受けるあたしに

I will make another recording later

when you are ready

whenever you want to hear it

と言って引き続き録音を送ってきてくれている。(仲良しか)

 

 

今振り返ると小中学生の国語レベル(の語彙だけ難しくて制限時間短いバージョン)に思えるものを,受験者はどれだけ難しく見積もってきただろう。今年中に目標スコアを取らなきゃと,何回も試験を受ける準備をしてたけど,こんなテスト12月になっても受けてる場合じゃない。一ヶ月でも一週間でも早く終わらせて,他にしたいことがある。もちろん,あたしが今してることは「勉強」なんかじゃないし,今の生活は全然しんどくないんだけど。

 

ともあれ,あたしが意味を読み取りきれなくて生じる齟齬に苦しみながらも手伝ってくれるMarkには感謝している。多分あたしの卒論を英訳したら少しは彼の役に立つだろう…話すたび視界が開けていく感覚を彼にも味わってもらえるように,もっと英語を上達させたい。話す内容も。

 

 

さくらもちを,探している。

花曇りの昨今,というか若草萌える季節,

さくらもちを探している。

 

明日が誕生日の先輩へのプレゼントである。

なんて先輩想いな後輩なんだろう。

他の同級生が何もしなくてもちゃんと用意するのである。

 

「明日はさくらもち買おうかな~

誕生日だから好きなもの食べたい」

と今日言われたからだなんてとてもとても

 

ウィッシュリスト公開してるから買って」みたいな

冗談めいた言い方ではなかった。

他の人に言ってもおかしくないのに,あたししかいない時に。

わざわざ言わなくていいことだったのに。

 

だから,探している。さくらもちを。

 

 

こんなことは,あたしが普段感じている息苦しさの

ほんの一端でしかない。

 

 

 

 

葉桜の候,さくらもちが売ってるわけないだろう。

 

 

 

 

 

 

実はさくらもち味のアイスがスーパーで売っていることを知っている。

白餡と餅が入ってるんだけど,かなりおいしかった。

唯一嫌いな食べ物があんこの自分がわざわざ買って確認してある。

 

 

 

きっとあたしは

和菓子屋を確認した後にアイスを買うだろう。

 

 

 

わざわざ言わなくていいことだったのに。