それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

不安要素が解消されなくても。

「決断してみないと分からないだろう」

物事を決める際の相方の口癖。

決断してしばらくは,

迷おうと辛かろうとその判断を押し通すわけです

 

判断するまでの間にぐだぐだと悩むよりも

結果が出やすいとは思う。

”どちらにも決めない”という判断は

停止あるいは後退してるのと同じで,

絶対前には進んでいかないから

 

 

自分の下した判断を貫くこと自体が目的になることを

いちばん恐れているあたしとは全然違う思考法だなぁと思って。

 

NZにいた頃に決断をしてみた。

決断しないとあの現状のままだと思った。

どこに向いてるとも分からない必死さを重ねるより

たった一回の決断のほうが,簡単に人生を変える。

それがいい方向への変化かどうかは

決断してからじゃないと分からない

 

 

しばらくはNZの余韻に浸っておけばよかったのに

帰国して一週間の間に,新しくしたり一掃したりした。

部屋や茶道の道具を新しくするとテンションが上がる。

文字通り新生活なんだけど,いささか新しくしすぎたのか

今朝起きた自分は将来が怖くなっていた

 

新しくなるのが怖いのは

努力もせず今のままの自分でいる気満々なせい。

不安を解決しようって気持ちが足りてないんだな。

 

 

自分が悲しくならないように生きたとしても

何かしくじって,どこかで悲しい目に遭うもんだと思う。

予防線張っても張らなくても

結局は悲しくなった後の対処が求められる

 

特に,既に不安要素がちらちら見えてるような決断をするときは

現段階で憂いてたら先が思いやられる。

不安要素が現実になったときや

想像してなかった事態が起こったときに

「絶対どうにかするんだ」って決めないと

結局あたしは現状維持をしてしまう

 

 

サイコロ振って行き着いたコマの指示に従って

嬉しかったりめっちゃ落ち込んだり

それでもサイコロを振ることでしか前に進まない

 

現状のことは自分でもよく分かっているから

今は今でこういうところが幸せだって知ってる

でも,何が不満かも実によく分かってる。

幸せよりも不満を雄弁に語れるようになってしまったら

あたしの考え事の大半は無駄話だ

 

あたしの場合は今でさえ何不自由ないので

不満に目を瞑ることだって可能なんだけど

現状の不満と将来の不安を秤にかけても決断できないね。

実際起こってることと,起こるか分からないことなんて

あたしには比べられない

 

不満を放置しておくこと,

今のままでいること自体が,大きな損失かもしれない。

損失かどうかも分からないんだからね

 

 

決断したことで

もしパッと見は失敗したように見えても

傍にいてくれる人も 生きがいもなくなったとしても

努力したい事柄はなくならないから

 

大丈夫だろう

 

 

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