それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

楽しいことだけを考えるとき

今年出産した同い年の女の子が

どうして産むことに決めたかを聞いたとき

「何が大変かじゃなくて

どんな楽しいことがあるかを考えた」

って言ってたのが印象的だった

 

たいていの道はどっちを選んでも大変。

でもビジネス書の著者で

「自分失敗しました」って言ってる人は少ない

むしろ「自分がどれだけ努力したか」「今どう成功しているか」を話す

 

選んだ道の上で大変なことはどの人にも起こっていて

失敗とか不幸としか思えないような段階で止まるから

それは失敗に留まってしまうんだな

なんて,過去に分かりやすく失敗したことのあるあたしは思います

 

あたしは不幸に過敏で,

嫌なことも割と長いあいだ覚えていて

身近にたくさんある幸福にはかなり鈍く,

スルーしている部分が多い(ということはなんとなく分かっている)

 

きっと嫌なこともいいことも

同じぐらいの割合で存在してるような気がするんだ

だから,冒頭の彼女が物事を決断するときに

その選択をすると何が楽しいかを考えたのは正しいと思う

 

人生は,辛いかもしれないのと同じぐらいの確率で

楽しいかもしれない

 

 

最悪の結果を想定しなきゃいけないのは,

浮かれてて周りが見えてないとき。

最悪の結果を想定しても大丈夫なのは,

決意が固まっているとき。

 

ちなみに

最悪の結果を想定しなくてもいいのは,

自分が本当に望んでいることをするとき。かなぁ

自分が何か行動したいときは,

”それをしたい”以上の裏付けを持ってこれない

なんというか,それをしなくていい理由は用意できない。

諦めることはできても

 

 

ガタガタ言ってみたけれども

今のあたしは楽しいことだけ考えてたらダメな気がする。笑