それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

「できないことはできない」のならば。


Teaching Assistant(先生の助手みたいなやつ)で先生の研究室と教室を往復している。日本語開講の授業は一部の日本人院生に仕事が集中する。往復してるのを見かけた同期には「So pity」と言われる。課題が大変だっていうのはどの国の人も言ってるけど,忙しいアピールをし合ってるのは日本人的な感覚なんだと思う。頑張ってると思われるより可哀想に思われる。「仕事ばかりさせられてるやつ」と思われるのも嫌で,いかに大変かなんて話はしていない。単純に,英語だと説明しきらないからだろうか。

「あの頃は自分擦り減らしてたな〜」なんて思う頃の話なんて私はしたくない。意識高かった頃に頑張ってたことは,全て話したくない思い出になって,”頑張ってた”期間は無かったことになった。それでも負の感情とか嫌な断片は残る。お茶に傾倒するまでの話をするには意識高かった頃の話は避けられないような気もするけど,院に入学してからその部分を同期の人達に話したことがない。語学力の問題だけじゃないだろう。

 

他の例で言えば,海外を目指していた期間も無かったことになった。人は平気で「(卒業してから院に入学するまで)何してたの?」と訊いてくる。答えられないのだ。英語を勉強してました,と事実に一番近いことを答える。正直に海外の院に留学しようとしてたって言ったこともあるけど,言った傍から恥ずかしくなった。入学してから嫌でもマシになったとはいえ,依然として英語力が修士レベルではない。

じゃあ修士レベルになればいいだけの話かもしれない。この前指導教官に修論は英語で書いていいか尋ねた。英語ができなくて今日本にいると思いたくないのだろう。将来再び海外に出たくなったときのためでもある。ただ,たとえ留学できても今と同じような想いをするのだろうなと思う。英語でプレゼンして英文読んで,心に積もったことを話せないのは日本語でも同じだ。そういう環境に既にいるからだろうけど,以前ほど海外に執着していない。

単純に英語が流暢でないという意味で,日本語の運用能力の方が遥かに高い。英語にこだわっていつまでも恥をかき続けてる場合じゃないのかもな。前向きに言えば,「日本語で勝負すると決める」というか。

 

一昨年より去年,去年より今年,いつだって今の自分の方が幸せだ。でもそれは,一昨年や去年が,人に語りたくないような空白の期間になったから,相対的に今幸せに感じるだけなんじゃないのかなと,気づかなくていいことに気づく。

”頑張ってた”ことばかり人に言えなくなった。過去を振り返れば一日一日点ててきたお茶の写真だけが残っている。見ればそのお茶を点てた日の気持ちが,むせぶほどこみ上げてくる。あの期間が本当に「空白」だったら良かったのに。

 

せめてこれからは,今ここで過ごしている期間が,空白にならないことを願うだけだ。
そのためにはどうしたらいいだろう。

 

 

ひとまず,TAの仕事のうち負担の大きいものを「できません」と伝えた。「できない」と言うだけで,引き受けた方がマシなくらい神経が擦り減った。でも英語にしろ,「やれるもんならやりたいけど,できない」ものばかりだ。

できないことのために孤軍奮闘する期間が,ことごとく思い出したくない空白になってるんだから,そろそろ生き方を変えた方がいいだろうな。