Day1,2:日本から南へ飛んできてまず思うこと
留学でもなく観光でもワーホリとかでもなく
ニュージーランドにいます
日本の学生の知識レベルが疑われるほど英語ができないまま
友人と2人,日本語教師のアシスタントをしに来ました
早速困っています。
*
相変わらず
ラップトップの蓋をハーフオープンにしながら
授業と授業の間を走っている。
国が変わっても人間やってることは変わらない
年齢が近いと頼りないからかなんなのか
自己紹介で27歳と言わされて
まぁ相手も中学生や高校生だから通じる()
一緒に赤道を超えた同い年の友人は老けて見えるので
28歳って言うように言われてた。
(よく考えたらあたしとそんな変わらない)
日本語での自己紹介を聞き取りチェックさせられる生徒は
かわいそうだなぁと思って
あたしも早口をもっと改めないといけない
無償のボランティアのはずがなかなか仕事をさせられ
…じゃなくてさせてもらえるようです
ここまで自由裁量だとは。
遊ぶだけならわざわざ日本語教師として来なくていいんだよね
*
教室での一日目を終えて
今日は中学生のクラスに混じったけど
今流行りのスクールカーストでいえば上位だろうな~と思う子は
なぜか日本語ができる。
カースト制と日本語の習熟度の関連性なんてないと思うけど
分かりやすく,目立っている
例えば日本でも,
頭がいいっていう一定以上の評価をもらう子供はたいてい英語ができる,
っていう仮説を立ててみて喋るのも面白そう
*
文章になんの繋がりもなく箇条書きになってしまうけど
思うのは
pedagogy(教育学)をやっているだけの人間は
自分が思っている以上に専門性なんてないこと
「ノートを閉めてください」「道が忙しい」などは
英語の対訳で日本語学習したからこその誤用であること
授業時間中に教室の外のホールみたいなとこで平仮名を使ったゲームをして
走るし他の先生が作業してる部屋の壁も叩くし
感覚はまるで違うのだけど
別に無法地帯なわけではなくて
座学も成立しているのがNZの逆にすごいところだということ
うるさい≒学級崩壊と叫ぶ日本は
単に先生や学校側の統制力のなさを露呈している
そして,統制力っていう上から下の関係だけでなく自分自身についても同じことがいえる。
管理されることでしか,自分を管理できていないこと
あとは
子供にとっては学校が世界のほとんどであること。
その中で授業に参加することは
人生への積極的参加でしょう。
などと話を人生について持って行きたがるあたしの傾向のこと
(これは前から自覚してる)
*
担当の日本語の先生と二人で作業しているとき,
「日本の女の人は仕事中こんなに静かですか?」と聞かれて初めて気づく
「黙って仕事しててもつまらないでしょ」って
あたしも思いつく限りの理由を説明してみたものの
仕事中は黙ってないといけないとか
誰が決めたの
「仕事中うるさくすると周りに迷惑がかかる」っていうお互いの認識があるから成り立ってる。
他の人に迷惑をかけてはいけないとか
日本人が勝手に"常識"にして
「つまらない」を当たり前にすることで中和しようとしてる
就活とかで職業選択のときに自分のしたいことや
やりがいがあると思えそうな仕事(あくまで推測)を選ぶけど
こちらの人々を見ていると
人間基本的に仕事は嫌いなんだなぁと思い知らされる。
そういうあたしも,苦痛そうにタスクをこなすところがあるから
*
授業が終わったあとに日本語専門の女の先生と
えらい広い公園?で一緒に犬の散歩してたんです。
昔のあたしは一対一で話をすることにもう少し自信あったな~なんて思いながら
あたしはこのブログで
いつもうだうだ考えているように見えて
はっきり言えることは
「生き方について考えることが好きです」のみだなぁ
*
あたしの英語がpoorなので
日本語の先生はなるべく日本語で喋ってくれるのですが
その中でも
「世界であなたのことを考えてる人は本当に少ない
だから,すごくがんばる」
っていう言葉と
「考えることは自分を知ることなのでいいことです」っていうのを覚え書き
この世の道理や真理を知ろうとぐだぐだ考えてたけど
結局のところ自分自身を知って納得してただけなんだな。
そしてそれが然るべきことだというのも分かる
いくら考えても,
あたしがこの人生しか生きることができず
世界で自分しかこの人生を大切にしていなくても
自分にとってこの人生が大切なことは何も変わらないから
*
最後に言われたのは
「明日は時間があったら海に行きましょう」とのこと。
二人のときに変なことを喋っていなかったようで良かった。笑
あたしっていうキャラクターがどう通用するのか知らないけど
いざというときには,つまり今は
このキャラクターで勝負するしかないことがよく分かる
日本で甘んじておけばまだ良かったものを
なぜかここまで来たんだから。です