それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

後悔を越えるということ。

 

理解できないものがいくつかある。未経験のものを理解できないなんて子供じみてると思うのだが,昔の恋人への未練が理解できない。私は,過去の恋人を好意的に話すことがない。嫌いなところを羅列できるほど嫌いになってから別れているからだろう。もちろん,全員の全てが嫌いなわけじゃないのだが,もう関わりのない人を,現在関わりのある人の前で評価しても,仕方がないように思う。

そのため,私のサイコパスっぷりを理解している恋人は,元カノの話をしない。彼の中で元カノは,傷ついた思い出として残っているようで,「君といる間は気分がいいから,昔のことを思い出す必要がない」と言って,詳しく話さない。私も,聞きたいようで,聞きたくなかった。もし私が元カノのことを尋ねたら,話している間,そして話し終わった後もしばらく,その人のことを考えるかなと思うと尋ねたくないのだ。

 

そんな私が元恋人を引きずる人たちの話を聞くなど,この世で乗り越えなければならない業なのではないかと思った。しかし私の心の中でもあからさまに機能停止している部分であり,この最も理解し難い話を理解しなければ,成仏できないような気がした。

 

私が元恋人に負の感情しか湧かないのは,カスみたいな人が1人いたからだと思っていた。そいつの話を振れば,私の中の嫌な感情全て,最も攻撃的な面を引っ張り出すことができる。

しかし,ある人(告白された後も少しの間仲良くしていた)が「あまんじるなちゃん,頭もいいしユーモアもあるし,見た目に甘んじてないし(ギャグではない),これで人に優しくできれば完璧だね」と言っていたことを思い出した。これを言われたのはカスの人に出逢う前。カスの人の影響などではなく,ずっと前から私は優しくなどなかった。*1

 

次の可能性として,過去の人の話をされるのが好きではないのは,私には思い出したい過去などないからかもしれない。思い出すとしても,数週間前とかの楽しかったことだけにしている。後悔はわーっと喋るなり搔き消すなりして忘れたい。より正確に言えば,新たな後悔で古い後悔を上書きしているだけなのだが,それでも,昔の後悔にもう留まっていたくはないのだ。

 

ただし,本当に後ろ向きで,過去に取り残されている人であれば,もう今(この世に)は生きていないのではないかと思う。

 

発想の暗い高校生だった私は,当時から「人が生きているのは,いつまでも希望を捨てきれないからだ」と思っていた。私が多少サイコパスでも実体験は語れるのだが,死なない理由は,「このままで終わりたくない」という気持ちと一体だった。この死に損なったような気持ちは,過去の後悔を上書きするかのような「新たな後悔」を生み続ける。生きることは,何かが生起することを受け入れることであり,その何かは望ましいものばかりではないからだ。

それでも,後悔すること(=ああすれば良かった/しなければ良かったと思うこと)は,幸せのなり方を自ら一つに規定することだと思う。

ある方法で幸せになれないのなら,別の方法を探す。それも無理なら,自分には想像もつかない方法があるのだろう。私はだいたい3つ目の,想像もつかなかった方法で幸せでいる。
人は実際に起こったことは悔やめるけど,どのように幸せになるかなんて,実際に起こるまで分からないのだ。

 

生きていることはそれだけで,「このままで終わらない可能性」を捨てきれないことと同義だと思う。

 

過去について愚痴や弱音を吐くことで,誰かがまだまだ生きていけるのなら,私や他の誰かがそれを聴いたらいいのだろう。私も散々(ごく一部の聴いてくれる人に)聴いてもらってきたのだから。

誰かが過去を見つつも現在に足が着いているのなら,私は同じ地面の上にいたらいい。私は勝手に先に進むだろうけど。一緒に歩ける距離にいたら嬉しいけど。

古い後悔から逃げるように生きているにすぎない私は,過去に目を瞑っているだけなのだ。そういう過去を見せつけてくる目の前の人を,勝手に疎ましく思っていた。

過去を整理することは現在でしかできなくて,そうやって過去に向き合う間は,現在を生きている途中なのかなと思う。少なくとも新しく誰かに出逢ったということは,茶道を始めたとかそういう,過去とは違う何かしらの行動を起こしたということだ。
私に会うこともなかったような人達はきっと,まだ過去にいるのかもしれないけれど。私の目の前にいる,「このままで終わらない可能性」を可能性で終わらせなかった人を,もう少し評価できたらいいのだろう。

 

総合すると,元恋人を引きずる最高に理解不能な人たちの長所を挙げろと言われれば,「死んでいないところ」ということになる。「生きているから好きです」という暴論でもあるだろう。

 

サイコパスが改心したとか,そんなことはない。

ただ私は,今も生きている人たちに対して,文句を言い過ぎていたなと,思ったのだ。

 

 

 



*1:その時は特になんとも感じなかった辺り,既にサイコパスだった気がする。今思い返すと,もしかしてあの人の最大限の嫌味だったのではないか,などと思う。