それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

人の成功を願って「助ける」。

 

「ありがとう」と言われることに重きをおかず,それは感謝を期待しないことでもあり,人を助けてこない人生だった。

 


上の記事に出てくる外国人が日本で仕事を探していて,当然だけど日本語が全然できない状態での就活は難航していた。「なんで日本に来たいの?」と尋ねると,私のために日本に来るんだなんて言わせない雰囲気を察知した彼は,「…cuz this is my life(それが俺の人生だから)」と答えた。そうですか,じゃあ自分で頑張ってね,と放任していて,あれ私は本当にこの人に日本にいてほしいのだろうか,と考えるときがあった。

 

日本語で会話できない程度の語学力で(語学教師以外の職に)就職することは割と奇跡に近く,本気で願っていないことが何個も叶うほど,人生は親切ではない。

そのとき彼は京都に滞在していて,職が決まらないまま帰国が迫っていた。当然だ。私が会いに行く余裕が全然無かったときに,メールや電話で喧嘩して,分かった京都行った時に履歴書とか添削するからと電話を切って,あぁついに私がテコ入れするときが来てしまったなと思った。私は誰かの人生の岐路に干渉したくない。それが彼氏を名乗っている人であれ。

 

彼は母国でいくつか修士号を取り,それぞれその分野でトップの大学を卒業している。日本に来なければ,不満はあれ楽に生きていけるのだろうと思う。

2人でパソコンを付き合わせて求人を探しながら,私がボソリと「やりたいことを求めて海外に来れるのはいいよね。私は留学できなかったから,したかったけど,もうそれは良くて。だから日本まで来て今それをできてるなら,どんなに大変でも,it deserves to try.(それは挑戦するに値する)」と言った。

 

私は子供が生まれても人生の主役は自分だっていうタイプなので,叶えられなかった夢を彼氏なんぞに託すつもりは全くない。本当に未練があるのなら,子供に留学行かせるよりも,子育て後に自分が留学に行くタイプだと思う。

だから彼に自分を重ねるつもりは全くなく,むしろ,だからこそ彼を全く応援できていなかった。日本語ができなくて苦労してる人がいるとしても,「苦労は努力にカウントしません」と考えていた。

 

母国での仕事を辞めて,学歴とか棒に振って日本に来てる青年を,なんで私は応援できないのだろう。

自分の中に寂寥さを感じた。自分が海外に行けなかったこと,特に留学みたいな,自分が一番したかったことほど,誰にも応援してもらえなかったこと。そういうことへの恨み辛みでいっぱいだった。彼が好きかとかそんなことは,人が思っている数倍,五の次,六の次だったのだ。

 

過去に親しくなった人達の人生にどう貢献したのかなんて,私は一言も答えられない。合理化かもしれないけどふと思ったのは,もしかしたら,その青年を日本に連れてくることが,私の使命なのかもしれないなということ。使命を終えたら,心の中で何かが終わるかもしれない。

ただし,将来その人と疎遠になってるかもしれないからと,今日何もしなかったら,近い将来確実にその人は他人になる。生涯大事な人だけを今日大切にするというのは,順番が逆なのだ。一生大事だと今の時点で分かることなんてなく,一生が経過した後にしか分からないのだから。

将来の確約ありきで取り組むことのできる日なんて,人生には1日もない。

 

  

実は,外国人求人サイトの多くは全て日本語表記である。日本語でググればトップに出て来るようなサイトを彼は知らなかった。とりあえずこのサイト登録しとけ,とURLを送ると,登録フォームも日本語で,日本の住所と電話番号も必須項目だ。全ての項目を英語で説明しながら埋めて,連絡はメールとSkype,全て英語に変えてもらった。そしたら彼の興味に合った,翌日締切の最適な求人があったようだ。まじかよ。

 

採用担当者の喰いつきが異様に良く,これが最高学府か〜と思っている私は,まだ寂寥さに苛まれている。心がしみったれていて,相手の成功を心から願えているのかなんて分からない。でも私の中の葛藤がなんであれ,「したこと」しか叶わないから。

今日,彼は最終面接を受けている。

 

 

心が2畳半の私にも,いいことがありますよう。