もう何を後悔してるかも分からない
それは後悔していないのと同じことかもしれない。
もちろん後悔はたくさんあると思うんだけど
「あの時もっと頑張っておけばよかった」って思ったことがない。
どうせ自分のことだから,
その時はその時で何か別のことに必死になっていたんだろうな
とか思ってあげちゃう訳で
「人生のどこかで違う選択してたら」と思わない(考えるのも怖いし)
ただ
後悔はしてなくても,満足もしてない
私の努力っぽくない努力と探求はきっと
自分との契約です。
自分自身ぐらい無審査で無条件に信じてあげられるのは
一瞬一瞬の自分がそれぞれいちいち必死だったことを
いちばん分かっているからです
むしろそんなに必死だとは自分ぐらいしか分かってない。
正しいと思うことを
途切れることなく繰り返してきた(であろう)自分への信用で
あたしの人生は成り立っているらしい。
ただそれだけの理由で
賢いことではなく正しいと思うことをしようとする
正しさを敷き詰めて
後悔の入り込む余地を無くそうとしてる。
自分への信用がある限り
あまり深い後悔をせずに生きていけると思っているので
今までひとつ覚えのように
必死になれていたようです。
ただ,一度自分自身への信用を失うと,
それを認めたくなくて躍起になってる気もします。
今の自分が必死なのか躍起なのかは知らない。どっちも一緒か。