それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

独りであるということ。

 もう二年近くも前のこと。それは三十代ぐらいの,働いている女性に人気の映画であるようだった。十九時過ぎに単館上映の映画館に駆け込むと,左右の席にゆとりを持たせて座る女の人が数人と,持ち込んだパンを食べている女性の背中が目に入る。彼女らの両腕が持て余しているゆとりは,ひとえに彼女たちがそれぞれ一人で訪れていることから生まれている。彼女たちが創り出すその空間に,私もひっそり脇役として混ざることとなった。参加する資格は持っていた。

女の一人旅もまた目に付くものである。宿の女将さんに勧められたところが全て回らないお寿司屋さんだった場合,丁寧に教えてもらったのに結局行かないという選択はできるだろうか。その結果,地元民しか知らないようなお寿司屋さんに一人でお邪魔する羽目になった。ここでは人数ではなく当時二二歳という年齢の方が問題だったかもしれないが。

さらに上級になると,一人旅で訪れた先で単館上映の映画を見るという合わせ技もある。公開が終了した,または上映している地域が少ない映画などは他県を訪れてでも見たいものだが,こうなるといよいよ地元民に馴染む。キャリーバッグなど持たずに荷物を少なくして,地元民に見えるぐらいが一人旅は安全である。

 

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あれから,一人では行きにくい大衆映画を一緒に見に行く人はできたのだが,誰かを誘いにくい(面白くない可能性の高い)単館上映を観に行ったり,一人で自分の行きたいとこばかり回る生活は今も続いている。ジャマイカ料理を食べに行けば,店員さんに「お一人ですか?え,一人?!」と言われ,イスラエル料理のお店では「二〜三人で取り分ける料理ばかりなので,お一人となると…」と繰り返し言われた。「久々にこんな気持ち味わったわ」と,他の人にはわざわざLINEしないようなことを話す相手が今の私にはいるけれど,いつでも「あの頃」の気持ちを再び味わうことができる。これは別に相手やその人との距離のせいではないのだ。私が好き好んで一人の時と同じ生活スタイルをしているから,だろう。

一年間ほど一人でいた間に,どう転んでも一定水準以上の日々を保つ術は確立できた。一人だったからこそ楽しいと言うつもりは無いし,楽しかったときに誰かといたことも多かったけど,楽しむためのスキルは全て「一人でいた間」に得たものだということは強調したい。誰かがいないと不幸せだと思い込んでる人の方がよっぽど不自由で不幸せなのであって,一人でいても楽しい,そこに誰かがいても楽しい,という人間に勝るものはない。

 

恋愛の例でいえば,付き合うときも別れるときも誰にも相談せず,周りの人間が気がつくより前に付き合っていて別れている。周囲の人の記憶のアップデートを促すために吹聴したりしないから,数人前の人と今でも付き合ってると思ってる人とかもいた。近しい人にさえ,全て事後報告な気がする。私がいつ誰といたか知ってる人が少ないように,いつ私が一人でいたかを知ってる人も少ない。つまり,独りかどうかすら誰にも知られないような生活をしていた。そう考えると,誰といようと一人でいるのと変わらないんじゃないか。楽しさも味わいつつ「あの頃」の気持ちもまざまざと思い出せるし,きっと今でも,いつでも孤独と二人ぼっちだ。

「じゃあどうするん,一人で生きるん?」と言われたけれど,まぁ首肯するしかない。どう生きても孤独であるとすれば,生きていく上で存在するのは“特定の誰か”というより,「俺は一人にしたくないで」と言われて“私はどう思う”か,その感情だけなのだ。一人で生きている中で,時折誰かが介在して,私は嬉しくなったりイライラしたり。一人でいても感情はある程度動くけれど,誰かによって感情が変化するその間だけ,私は一人じゃないかのように感じられるのかもしれない。

 

追記:2016/03/09 02:10
とても大事なことを書き忘れていました。 最後の段落のセリフを言われて私は嬉しかったし,今も一人じゃないからこそ,ここに書いたような強気なことを言っていられるのだと。 寂しいとか孤独とかいうことすら,それを吐露できる相手がいないと感じることができない。本当の意味で一人でいたときは,今より孤独も何も感じなかった。変な話だけれど。

この下の記事で友達について書いた話が自分にも当てはまったのかも。

 

「失敗」も「辛さ」も漠然としすぎている。

キャベツを千切りにしていて爪ごと指を切った。左手人差し指の右上が斜めに欠けている。翌々日には普通の顔で茶道教室に行き,絆創膏を貼っていると先生のお茶碗が傷ついてしまうので素手であった。指先を怪我してるなんてバレようものなら,そんな汚い指ではお道具なんて触らせてもらえないと思ったのだ。

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急に濃茶を点てるように命じられ,仕覆(↑こういう袋)から茶入を取り出さなければいけないのだが,爪が欠けて肉が見えている人間にこの結び目を解かせるとは。中指を使うと横着だと言われそうなので,指の腹なりを器用に使ったつもりで紐を解くと「仕覆の扱い全然できてないから○○さん途中からで申し訳ないけど代わって」と先生が仰り,私は引っ込むことになる。割り稽古(茶道のパート練習)もやってないので,点てずに済んでホッとした。ただ,どうせならもう少し早く言ってくれないだろうか。

 

私が下がると,主菓子に関東風の桜餅が出される。唯一嫌いな食べ物があんこである中でも,とりわけ曰く付きの和菓子である。

 実は「さくらもちを,探していた。」という名前の後編がブログの下書きに眠っているのだが,上記の前編で本音をぼかした苦労が水泡に帰すので公開していない。お菓子をいただきながら,桜餅を流し込もうとする食道の中だけ重力が逆さにになっているようだった。

 

姉弟子さんが「気にしてらっしゃらないと思うけど,先生が途中でお点前やめさせるのってよくあることだから。でもやっぱり今まで何年も茶道されてた方はスムーズだし全然違うわね」と気遣ってくださる。実は爪なり桜餅なりに気を取られていて「失敗」だとは感じていなかった。その前日の授業でしたプレゼンの方がよっぽど失敗であり失態であった。ただし,爪まで千切りにしたことや桜餅が咽び上がってきたことは,その辺りと分かち難く結びついているだろう。

 

その日に限ったことではない。お茶に関するレポートを書いて急いで茶道教室に向かう途中で自転車と衝突して,目の前の工事現場に目撃者がいるのを確認した後に,ぶつかったオッサンから名刺をかすめ取りそのままお稽古に向かうような日には,いつかお茶に殺されそうだなと感じる。

でもお茶を辞めたところで,どうせいつか死ぬのだ。

これというものが無かった頃に無鉄砲に自分を擦り減らしてた経験から言えるけど,これのために生きたいと思えるものもなく生きているのは,いくら本人は何かに必死であっても,生きながら既に死んでいるようなものだ。

 

上述の通り,非常に気が滅入っていた理由の一つはお茶というよりプレゼンであり期末レポートであり数々の人間関係であったり,そのプレゼンも当然のように茶道について書いたレポートに関してだったのだが,英語がうまくないことも,英語でばかり授業が開講されている院に進学したことも割と根本の原因だ。

自分の得意なことだけを,自分を褒めてくれる人の中で続けていれば,成功体験は思ったより簡単に得られる。慣れないこと苦手なことできないことをしたときに高確率で失敗しているので,「わざわざ」失敗してるのだと言い換えてもいいと思う。日本の大学でこんなに英語漬けになるのも,ネイティブ以上に多くの授業を取るのも,わざわざ掛けなくてもいい負荷だった。それなのにお茶もまだまだ素人の域で,お茶について話してる時でもうまく伝え切れていない。お茶は私の中では一番の得意分野かもしれなくても。

じゃあ逆に何をして失敗していたいだろうか。つまりは何を得意分野にしたいのか。もし漫然と自信を持っておきたいだけなら,簡単なことでもしておけばいいのだ。

 

人に話せるような成功体験を増やそうとする人生ほど誰かのそれと似通ったものになるし,特別な人生を送りたいなら誰もしないような失敗をするのが早い。ただし,しなくていい挫折,普通にしてれば絶対に味わわずに済んだであろう惨めな思い,人生のそんな部分はきっと誰にも言えない。言えないから,冒頭で茶道教室の話なんて出してるのだ。こんな思いをして大変でしたなんて,それが辛いことであればあるほど,よっぽどの笑い話でないとできないので,せめて大変じゃなさそうにけろりと生きるまでだ。

 

もともと指とか切っても痛い痛いと言わずに黙ってるほうではあるけれども,重い道具は軽そうに雑作もなく,軽い道具は重そうに大事そうに運ぶ,茶道でもそんなことをいう。辛いときに辛そうにすることはとても容易なので,どうせ話すなら何が大変だったか全て忘れたぐらい後の方がいいだろうと思ってずっとブログを書いていなかった。ただ,いつになろうと辛いことなんてわざわざ書き留めるものではないのかも。

2月いっぱいずっと張りつめてて,逆に一番しんどいときにふざける癖がある。

 

Tea ceremony, それはLost in Translation

 

上林竹庵が千利休の前でお点前をした時に,緊張し過ぎてお抹茶こぼしたり茶筅倒したりして散々で,利休の弟子が竹庵を笑う中で利休だけは「Nervousness is sincerity. (緊張するということはそれだけ誠実だということ) それこそが茶の湯ではないか」とお点前を褒めたっていう逸話がある。

私の発表の後に,先生がなぜかその逸話を持ち出してきたのが印象的だった。笑

 

30分喋るようにと言われていたプレゼンは,もう一人の発表者が来なかったこともあって(私も諦めかけたぐらい準備期間が短かった),発表の途中でちょいちょい質問はさまれるし,結局1時間以上話していた。人間そんなに長時間緊張してもいられないのだ。

 

その日本文化の授業は私に「あなたは本当の茶人かもしれませんね」と言った先生の授業なので,違う学科だけど受講している*1。日本語がかなりできる子が受講してるので日本語も使用可能だけど,基本的には英語で話すことにした。

 

 

茶道と茶の湯って一緒なの?っていうのは結構な頻度で聞かれるけれど,それはもう人によって言い方が違うだけ,としか言いようがなかったりする(時代によっても違う)。発表のときに聞かれたのはまず「tea ceremony」とか「way of tea」ってどう違うの?だった。

茶道のことをtea "ceremony"と言ってしまうのはミスリーディングだと正直思う。一回一回の茶会はtea ceremony感あるけど,私が家で点ててるようなのはceremonyと思ってやってる訳じゃない。かの岡倉天心が「茶の本(The book of Tea)」で茶道を海外に紹介した時の言葉がtea ceremonyだったんだけど,実はその本の中でもう一個,「Teaism」って言葉をつかってる。全ての訳本を読んだ訳じゃないけど,teaismは茶道って訳されてるはず。

本文中に「Tea ceremony」が出てくるのは3回なのに対して「Teaism」は15回出てくる。なぜかtea ceremonyの方が定着してしまった。見た目が完璧日本人のバイリンガルが新しい概念の言葉を創り出すよりも,既存の単語を二つ並べた方が意味も分かりやすいし受け入れられやすかったんだろうか。

 

さらに言うと「茶の本」では「宗匠」の意味で「Tea-Master」が37回「tea master」は2回つかわれてるけど,いつも「ティーマスターってなんかださい笑」ってなるので,本文中で1回しかつかわれてない「teaist」の方を流行らせてほしかった。ちなみにteaistは「茶人」って訳されてる。

 

「Tea ceremonyよりTeaismを流行らせたいです!」って言ったら,先生が「それはLife workになるかもしれませんね」と言っていた。

一生がかりの,畢生の仕事。Life workという言葉は妙に腑に落ちて,私もできるかもしれないな,と何も考えずになぜか思ってしまったのだ。

 

 

1906年に本が出版されて以来完全に定着した言葉が,今自分がやってるお茶を形容できないのなら,おそらく違う言葉が必要になるのだろう。自分がその言葉に寄せていくのかもしれないけれど。

全く喋れなかった人間が1時間ぐらいは英語でプレゼンしていられる程度には,お茶が自分をここまで連れてきてくれた。もともとはお茶界になんの縁も無かったけど,何か残せたらなとは思う。

 

 

とりあえず目前の,全然違う授業のプレゼン準備(×2)をします。

Lost in Translation(映画)はもちろん観ました笑)

 

*1:お茶の研究だけど日本文化とかの人文系にいるわけじゃなくて,実は社会科学系の専攻です。文化自体に興味はなくて,あくまでお茶やってる"人間"に興味がある。