それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

未来に連れて行きたい,過去。

 

卒業する時点では留学する気満々だったために進路が確定してなかったので,私の進路を知ってる人は少なく,その数ヶ月後には行き先が決まったものの,人生の中でも有数の不安定な時期に現状を報告する必要はないよなと思っている。来週には再び学生に戻って,自分のことだからどうせそこでまた必死にやる。人に会うのはそれからでいいと思う。

留学するつもりだったことを知ってる人には,この状態をどう説明すればいいのか分からないし,留学のことを知らない人っていうのはそもそも疎遠な人だと思うので,わざわざ今言う必要がない。留学のことを人に話さなかった2年間と半年,よっぽど頑張ってたので話すことはたくさんあるけど。

 

いや,留学のことが親しい人にだけ伝わってるとも限らないのだ。「無理でしょ」っていうニュアンスで話してくる人,「結局海外行くの?」とか言ってくるやつ,自分ができないからって私もできないと思わないでほしい。余計に人に話さなくなった。問題は「実際にやってみたところ(少なくとも自分の想定していた期間内では)本当にできなかった」ことだ。余計に人に会わなくなった。人に無理だと言う人間は,今日も無理じゃないことだけを安全圏でやり続ける。一応言葉選びますけど,ああいうやつが生きてる世の中はしょうもないな〜と。

 

そういう人間と同じ空気を吸わなくていいところに行きたかった。そして,留学ではないけど,そういう人と違うところで生きられることになった。「留学できましたけど」と言えた方が言えないよりはいいけど,会話したくもないのでそれが言ってやりたい訳じゃない。そもそも自分がしょうもない上に人を馬鹿にしてくる人なんて,過去に馬鹿にした人間を心から褒めるわけがない。

そう考えると,こっちが成功してもいいリアクションは取らない,そしてこっちが今後成功しようと知らずに生きていくであろう人間なんて,全然私に関係なかった。好ましくない誰かが私の成功も失敗も知らないのと同じように,私も相手の生存を知らない。私にとっては生きてないのと同然だった。

ああいうやつが生きてるなんてと思うより,そっかあの人死んだんだって思う方が,文字面は微妙でも実際には精神衛生上マシだと思う。単純に,もう気にしなくていい,ということだ。

  

f:id:amnjrn:20150716165035j:plain

 

死んだことにしても構わないような極端な例はともかく,相手がそういう変な人間じゃなくとも,自分が成功しても失敗しても知らない知り合いの方が圧倒的に多い。悪い内容はすぐ広まるとかそういうことは抜きにしても,SNSとかで自分から言わないと結局他人は知りようがないと思う。

人に留学のことを話さなかった2年半,つまり英語しかしてなくてよっぽど充実してたものの人に話してない期間に,何があったかなんて人には分からない。この2年半に限らず,今後も一生そうなんだと思った。辛いこと,それを乗り越えたこと,起こったことの全てを汲んでくれる人なんて,多分いない。

 

卒業,引っ越し,就職とかの度に現在が過去になっていくんだろうし,たとえお互い同じ環境にいたとしても,直接であれSNS上であれ話していなければ現状は知り得ないことの方が多かった。つまり,同じところにいてもお互いに「現在」ではないことに等しい気がした。

過去に関わった人達のうち,本当の意味で現在を共有できる人は少ない。でも,そうやって現在を共有できる人は,多分お互いの未来も共有できる。そういう人達の間でなら,私はこれでもかと自分の話をしている。*1

 

しばらくすると,この2年半にあったこと以上に,現状(そのとき生きている環境)の話をし出すと思う。その上で,今はまだ会ってない友達と会うことができたら,「その2年半」っていう過去の中でもその一部と,現状の話をしたい。

どうせ過去を全て説明することなんてできない。忘れたくない過去だけを未来に連れて行けばいい。

 

 

*1:こういう書き方するとべらべら喋るのと喋らないのどっちがいいのか分からない笑

広告を非表示にする