「現実」には会える:幸せでいる方法のひとつ目
幸せになる/幸せでいるための方法を知るために散々生きている気もするけれど,方法はそんなに多くない気がしてきた。
会っているときに楽しいとか幸せだと感じられる人がいるのなら会うのはもちろん,幸せだと感じるきっかけが人と関わっているときに起こると一回でも感じたことがあれば,人と会うことは幸せになる方法の一つだ。
2015/08/04 幸せでいるためには会いたい人に原史的に会いに行くのが確実な方法のような気がしてきたので,しばらく出かけることにした。 pic.twitter.com/2NnrDBdRpa
— あまんじるな (@amnjrn) August 4, 2015
という訳で急遽,海外大学院の説明会(兼講演会)に行った。なりたいものに関する説明会は行く気も起きるけど,なれなかったものに関する説明会というのは億劫で,それでも自分のしたかったことを既に成してる人に会いに行くことで得られるものがあった。むしろ説明会で得られる情報はネット上でもう知ってたので,登壇者に会いに行くことに意味があった。
数年前にとっても有名になった,私より2歳上のその人は,私が行きたかった国とは違えど海外の博士課程に進学している。この説明会やその後の懇親会で思ったことだけで1エントリ書けてしまいそうなので割愛。
自分はずっと留学したがってたけど,院試のときに卒論の参考文献の著者や近接領域の教授に会ったときに初めて「日本の院に進む」っていう選択ができるようになった。逆にもし海外の大学院の研究室訪問に先に行っていたら,今もまだ大学院浪人をしていたかもしれない。大学院説明会の登壇者の一人も「実際に研究室訪問してない院は全て不合格でした」と話してたけど,会うか会わないかの差は,そのまま進路の差だった。
2015/03/09 茨城に来たら訪れたかった,天心が建てた六角堂にて。お墓の前で,茶の本書きますって誓ってきた。 pic.twitter.com/tVjNR99LRl
— あまんじるな (@amnjrn) 2015, 3月 9
岡倉天心をいくら尊敬していてもお墓の前までしか会いにいけない。けどそのときの私は,裏を返して「生きている人には会える」と思った。
「岡倉天心を尊敬してお墓の前まで行ったりしたこととかあったんですけど,『生きている人には会える』というのが信条なので,あなたにも会えて良かったです」との旨を,大学院説明会で会いたかったその人に送っておいた。自分で書いておきながら,この文言はなかなか怖い。死んだらお墓の前まで会いに来そうだ。
それに対し,彼から「よく分かんないけど,僕にはまた会えるよ,頑張ってね!」と,有名人である自覚を匂わせるお返事。こんな返しできるようになると面白いよなぁ。あとこのお返事は,iPhoneのロック画面に表示されて彼氏にばっちり読まれた瞬間に意味深な言葉になってしまうので,私が友達と会ってる間には送ってこないあたりがさすがだと思った。(褒めてない)
*
昔の私みたいに,不合格のトラウマは合格でしか解消できないと思っていたら,浪人っていう選択肢が妥当だった。それは幸せになる方法を一つに定めることと同義だ。その一つを叶えることができる人はそれでいい。ただ,そうじゃない人間にとっては,幸せになる方法を増やせる能力が大事。同時に,今ここじゃないところにその方法があると思って無闇に意識高く保つことは,幸せから遠ざかる方向の努力だと思う。
自分の会いにいけない範囲,手の届かないところにばかり,いつもよりよい幸せが転がってると考えないことだ。恐らく,手の届かない範囲には,その範囲内なりの幸せが転がっているだけなのだ。
憧れている人達も同じように遊んだり恋愛をしたり,それは自分が今味わえる幸せと大差ないものかもしれない。少なくとも,年齢がそこまで離れていない人達に対しては,相手が何を成してる人であれそう感じた。
NYとイギリスの田舎の両方の大学に通った人が「都会の学生は授業終わったらすぐ帰るけど,田舎だと大学コミュニティが強くて,誰かの家に集まったりする。学生ってそういうのが一番楽しいじゃん?」と仰っていて,国が違っても結局そこは一緒なのかと思ったりした。恐らくいい意味で。
— あまんじるな (@amnjrn) 2015, 8月 13
2015/08/13 12:51追記
会ったことのないような憧れの人が効果的なときもあるけど,実際に目の前に現れた相手が自分に与える影響と,その振れ幅の大きさに自分でも驚く。
本当は,生きている人には会うことができて,頭の中の抽象を一つずつ現実に起こしていくことができる。想像の中の憧れの人や理想の人以上に,目の前に起こった現実はそれが起こり得たというだけで完璧だということを最近繰り返し思う。夢に生かされてるときもあれば,立ち現れた現実が自分を前に進ませるときもあるのだ。
幸せになる方法の手数が多い人にも少ない人にとっても,憧れの人や,離れている友人,恋人に会うことは確実な方法だと思う。彼ら彼女らは,どういう仕方であれ実際に起こった完璧な現実を教えてくれる。むしろ私には,自分とくっついた事象抜きに,それを実感することはできない気がする。