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それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

「コレができるようになったらアレしよう」思考

留学をしたりセミナーに参加したり,他に英語に関係ないことでも「今は無理」「〜できたらしようかな」って考えて先延ばしにすることがある。冷静に考えずとも,この状態で海外の大学院に行くことは誰が見てもキツい。じゃあ交換留学できるぐらいのレベルになったら院に行ってもいいのかというとそうでもない。実は今あたしが持ってるスコアで交換留学は行けるけど,交換留学のレベルにも達してないと思う。つまり,「〜できたら」の「〜」に実際に達しても,まだ足りない。

 

同時に,一つの例を思いついた。例えば,仮に二十歳の思慮で思春期を過ごすことができれば,たいていの思春期の問題は解決できる気がする。でも当然,思春期の頃は二十歳の思慮で考えることができない。人生全体で見れば悩まずに済んだような,簡単に判断できることも,決断するその時々の思慮で判断しなきゃいけない。すなわち,いつも何か欠けた足りない状態で判断しなきゃいけない。

 

何が言いたいかというと,「院のレベルに"達してから"進学することなんて無理だな」ということ。〜できてから...しないとって考えがちだけど,おそらくあたしの場合は「院に入って大丈夫」なんて自信のないまま,入学の許可だけはもらえるような,入学後苦労するレベルで入学するので精一杯。それでも,「〜したら」と思ってる人と違って既に一校出願してるしその点では合格に近いのかも。

 

無謀の程度に差はあれ,ある挑戦をしているときは,万全の状態で次のステージに進めることなんてない。それでも,2年後には修士号をもらえるレベルになってるかもしれないと思うことは楽しい。二十歳も過ぎてくると,そんな「いかにも成長してる」って思えることがどんどん減ってくるからだ。

 

そして今まさに,「成長してる」なんて思えない頭打ちの状態が2ヶ月近く続いてるんだけど,「できてなくても」その無謀なものに向かい続けないといけないらしい。

 

 

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