それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

「○○」がある人生でよかった。

まだ直接会ったことのないフロリダにいるMark(実は仮名)がある日「(Skypeで)君とだけ喋ってていいんだろうか」とか言い出す。

彼いわく,「何人か日本人と話したことがあるけど,彼らとは話したいことがあんま無かったんだよね。つまり…もし自分が日本に住んでたとしても,君みたいな人には会えなかったと思う。*1」とのこと。あたし以外の人とも喋ってるみたいだからいいじゃないか。しかし深読みをすれば,距離を置いたほうがいいかもって意味だったのかもしれない。アメリカと日本で,これ以上どうやって距離置く?下手にあたしがどっか行くと時差近づくよ?

 

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彼と話し始めて5ヶ月以上経った。話し始めた頃は海外の院に行きたいという願望に過ぎなかったものが,今では出願も始めて英語も目標スコアまであと一歩のところ。この5ヶ月間英語の学習を投げ出さずに済んだのは,どう考えても彼のおかげなのだ。就活や公務員試験,国内の院試を済ませどんどん進路が決まっていく友達の中で,独り英語の勉強を続けられてた自信なんてない。当時は今みたいにスコアを持ってなかったからなおさら。お世話になってた先輩が卒業して,これから本当に独りで頑張らなきゃいけないのか…と思ってた3月末に出逢ったのがMarkだった。

最初は「うちらが今後会うことなんてないだろうけど笑」って感じだった彼だけど,あたしが「うちらが変えられるのは未来だけだから,うちらができると思えばできるよ」って言ってたら,今では「君がアメリカに来て友達に紹介したときに」って言うとき仮定法過去を使わなくなった。彼とは最初から仲が良かったように見えて(こちらこちら参照),隙間は後から埋めていった気がする。「日本にいたとしても君みたいな人には会えなかった」なんて言葉を,つい最近言うようになったから。

 

 

あたしが海外の院に行こうと振り切れてから,つまり「本当に」英語を使い始めてから,海外の人との関わりも増えて楽しむことができた。楽しんでたら5ヶ月経って,あの頃とは全く違う状況にいる。

そんな中ふと,Markがいなかったら,楽しいように思えるこの生活も楽しくないんじゃないか。と,考えなくていいことまで考えるときがある。でもそこにあるのは,「○○が無かったら楽しくないような生活でも,いま楽しい」という事実。その○○があることに感謝したほうがいいんだろう。

 

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高3のとき哲学科に行くことを親にも担任にも反対されて違う学部に行って,学生団体してたときも誰の理解も得られなかったけど,今は親が「IELTS(留学のための試験)頑張って」って言うようになった。初めて"あたしがやりたいこと"を応援されたような気がする。そして4年越しで哲学を勉強しに行くって言ってるけど,やっぱどうしても修士号取るっていう4年越しの意地みたいなものも,ニュージーランドにもう一度戻りたいとかいう我が侭も,全て叶える。

もし今年の頭に戻って,もう一度今の大学の院か国外の院か選べたとしても,即決で海外の院を目指す道を選んだと思う。「褒めてもらえる今の大学でぬくぬく」みたいな人生が,そんな生き方を選ぶ人間が,今も昔も全く魅力的じゃない。後悔しようとしても,この現状以上に魅力的な選択肢なんてなかった。

この人生を生きたのが,この性格この考え方この方向性のあたしでよかった。

 

って思えるようになっただけでも,英語学習を始めて,海外を目指して良かったと思えてる。次のIELTSまであと1ヶ月。もしMarkがいなくても,もう頑張り切れると思う。

 

 

 

…とかMarkがいないみたいに言ったものの,メールやメッセージはくるし,時間があるときに彼の動詞に関する持論の続きを聞くことになってるし*2,いてほしい。

 

*1:I talked to some Japanese people before and they are very nice but I often feel I don't have many things to talk about with them.. even if I lived in Japan.. I would be lucky to meet you. maybe in Japan I don't meet someone like you..だったかな

*2:let's be excited about verbs fufu~って言ってたけどテンションについていけない