それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

欠点が事態を悪化させるのではなくて。

 

思考は現実化するというのは本当で,「このことをもう続けたくない」「もううまくやっていきたくない」と思っていれば,百発百中で続かない。「うまくいかないだろうな~」という疑いも,結局思考の一部なので,今のところ百発百中でうまくいかない方が当たる。

換言すると,「うまくいかないだろう」「うまくやっていきたくない」と思っている状態で,うまくいくことはないということ。

うまくいくかとわざわざ疑わなくても,何もしなければだいたいの出来事はうまくいかないのだ。

 

逆に「何かしたい」と思えるのならそれだけで,「うまくいかないだろう」と思ってるだけのときとは違う結果が出せるはず。

 

 

私は「あっ(これ以上はダメだ)」と思う閾値が低い。損切りが異様に早い*1。物事の初期でそう思うのなら,実際にダメな場合も多いし,その予感が当たっていたとしても,予感が当たればいいというものではない。

ダメだと思ってしまえば,その後は「どうせダメなんだろうなぁ」という前提を元に話が進んでいく。このとき,私の感じる「ダメだろうなぁ」は周りの人(=自分以外の当事者)にも伝わる。

 

物事を終わらせるためには,文句を言ったり険悪になったりする必要もなく,「これ以上努力しません」という諦念を見せるだけでいい。言葉で伝えなくても,当事者に察してもらうだけで,物事は終わりに向かう。

なぜかといえば,「うまくいかないだろうな」という空気を漂わせれば,それが相手からも「うまく行かせようとする努力(労力,対策)」を奪うからだ。

誰だってうまくいく可能性があるから努力するのであって,その可能性を全く散らつかせなければ,うまくいくものも頓挫する。

 

 

関わりのある他人(=当事者)に見せてはいけないのは,自分の欠点(マイナス部分)ではなく,「これ以上努力しません」「諦めてます」という姿勢なんだと思う。

私の言う「うまくいかないだろうな」は,問題が解決するなんて期待してないって意味だけど,そう思ってることが他人に伝わってもいいことは無いんだろう。

他人は自分の鏡だと言わずとも,自分がうまくやっていく素ぶりや余地を見せなければ,相手だって合わせてくれない。

 

 

どんな物事だって失敗する可能性は絶対にあって,誰が悪いわけでもなく頓挫する可能性もあって,その可能性を改めて指摘しても意味はない。

頑張ってうまくいく可能性を限りなく高くしても,失敗する可能性は0にならなくて,疑念なんて消えない。

つまり,限りなく失敗しなさそうな物事を探したって,失敗することはある。

絶対0にならない失敗可能性を前に諦めてしまって,ましてやそれが他人に伝わってしまっては,余計にだいたいのことがうまくいかないのだ。

 

 

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もう少し状況を限定して,二者間の問題について話すと。

 

相手とうまくやっていけなくてもいいと思い始めるのは,いつでもこっちだった。

確かに,相手が消え失せても私はまだ生きている。いつ消えてもいいというのは事実だったとしても、消えてもいいと思っていることを漂わせたり,相手にダイレクトに伝えたりする必要はあったのか。

少なくとも相手が目の前にいる間は,相手がいなくなってもいいというスタンスを漂わせる必要も,本当はなかった。

なぜなら相手はきっと,私の性格や行動は最初から了解していて,こちらの欠陥に辟易するのではなく,私が漂わせる「相手がいなくなってもいいというスタンス」に反応していたのだと思うから。

つまり,物事を悪化させていた理由は,私そのものの欠陥よりもっと他にあったのかもしれない。その理由とは,「これ以上努力しません」「諦めてます」という私の態度だ。

 

近しい当事者同士なら,欠陥があるのはもう最初から織り込み済みのはず。その欠陥も,急に始まったことでもないだろう。
つまり物事が悪化するのは,性格などの特性のせいではなく,大体その後にどう対応するか次第だと思っている。

 

 

お互いの態度や振る舞い,性格的な特性、言うなればサーバ側やフロント側の実装は,別に最初からそういう設計だと知っていた。

しかし私の「諦めてます」という態度はきっと,相手の全仕様を否定しているのに近かった。

私自身も,何か文句を言われれば,自分の仕様を否定されたかのようにムキになってきた。でも本当は,システム側の不具合を指摘されたのではなく,私が諦念を散らつかせていた,実装とは別の部分(=運用)に文句を言われていた気がする。

 

 

だからこそ,諦念を散らつかせないだけで,そこまで悪化せずに済んだこともあったのだろうな。と思うけど,やはり諦めてしまうにも理由はあったし,本当に諦めるべき(頑張らなくていい)ときもあるので。

こうして,諦念を漂わせてないで運用で回避したいな,と思えるようになるには,諦めたくないと思えるプロジェクトを担当する必要もあったらしい。

 

 

この点はもう少し,考えることがある。

 

 

*1:そのくせ全然得になっていないお茶をずっと続けていたりする