伝統文化と現代文化は同じ方向を向けるか?
ワンピース歌舞伎については,この文字列だけでもう何も説明する必要のないほどで。ネタバレや解説についても,もっと歌舞伎に詳しい人の話を聞いた方がためになると思うので省略して,ネタバレになりそうなところは注釈に回します。
2015/10/30 学部時代の後輩が東京に来て,歌舞伎が観たいと言うので一緒に。結論だけを言えば,ワンピース歌舞伎,観て良かった! pic.twitter.com/VFhLxenzef
— あまんじるな (@amnjrn) October 30, 2015
後輩が東京に来るついでに連絡してくれて,歌舞伎が見たいって言うので急遽チケットを取った。茶道の現代の在り方みたいなものを質的研究しようとしてる自分にとって,今回の歌舞伎もちょっとしたフィールドワークみたいな気分で楽しんできた。
隣に座ってたおばあさま方の反応が面白いのである。一回目の幕間のときに「もう眠くて眠くて。こういうの若い人たちは目輝かせてるのかもしれないけど。孫に"あれストーリー知らないと駄目だよ"って言われてね。」と話しかけられた。「よく見に来るんだけど,平日にこんなに人がいるなんて」とも。
第一幕は次から次へと出てくるキャラクターの説明が多くて,アニメの存在が先にあるから俳優さんも演技というよりモノマネの域で,アニメ見たことない人にはその面白さは分からないだろうなと思う。
ただ,第二幕になると,まぁすごい*1。演出上のネタバレになるけど,後ろ側からキャスト*2が出てきてハイタッチとかしていく。気づいたらみんなスタンディングオベーションしてたんだけど,この辺りからミュージカルのノリなのね。私は一階席の通路側に座ってて,キャストの人に「はい立ってぇ!!!」って手引っ張られたので隣の後輩も立たせたんだけど笑,年配の女性も同じように絡まれてて。ほぼ満席のお客さんの半分以上が普通に立って手拍子とかしてる。歌舞伎を初めて見る人が「こういうものなんだ」って思っちゃって大丈夫なのかっていうレベル。
二回目の幕間で,上述のおばあさま方が言う。「最初どうなるかと思ったけど,楽しいわ」「でもまぁ歌舞伎ではないわね」
これは,伝統文化が(過度に)現代風になったときの,典型的な初期の反応だ。
第三幕を見ながら,私の頭に浮かんだのはある先生の言葉だった。中学時代に吹奏楽部だった頃の顧問が,まぁ部員に怒号を浴びせるタイプの人だったんだけど,その怒号のうちの一つ,「サックスとクラリネットの違いも分からんようなやつを感動させることに意味があんねん!!!!!」が,ふと思い浮かんだのだ。
あの歌舞伎は,知識がある人やもともと興味のある人を感心させることより,何も知らない人を感動させることに成功していた気がした。もちろん知識のある方々も初めて見る演出の数々に驚いていて,もともと興味のある人にも響いてた部分は大いにある。逆はどうだろうか。知識の豊富な人に向けての演目が,歌舞伎初心者にどこまで響くだろうか。
「伝統芸能は,楽しむためには知識が必要で,その敷居の高さこそが伝統芸能を格の高いものたらしめている。」っていうのは社会階層論(ブルデューとか)でこれでもかと聞く話。伝統文化の範囲内で奇抜なことをすると疎ましがられるし,それこそ敷居を低くした文化は軽んじられるわけだけど。
ただ,そういう新しいことをする人って伝統的なものを否定したい訳じゃないと思う。茶道に関して言えば,現在特定の流派を持たずに独立系茶人やってる人だって,過去に茶道部や茶道教室でちゃんとした流派のお稽古を習ってた時期はあるし,家元のやってる茶道なしに,彼らのやってることが”茶道”であるとは言えない。彼らのすることが単なるゲリラ的な催しではなく「茶会」であるためには,千家や家元,ひいては伝統としての茶道が持つ権威が必要だから。
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自分のことで言えばつい先日「あなたのような伝統に馴染めなかった人が…」とも言われたし,それとはまた別のところでこれ以上なく伝統的な茶道教室に通い始めた。そして家で勝手に点てるお茶はまだ続けている。自分はどこに向かっているのか,と思っていたときに,妙に納得することができた。
顧問の怒号とともに頭に蘇ったのは,一年以上前,ある友達が私のお茶の写真を見て「抹茶って綺麗だね」って言って,数ヶ月後「今年のお母さんの誕生日プレゼントは抹茶セット(茶碗とか)にしたよ」なんて言ってたこと。その子本人は特に茶道に縁がなかったんだけれど。
古いものも好きだし、伝統に対抗したいわけじゃない。ただ,表千家と裏千家の違いも分からない人達が,「この人のお茶生活は何やらいいものである」と思ってくれるとき,自分のお茶に意味があるように感じるだけ。そして,誰もいいと思ってくれなくとも,自分が自分のお茶生活をいいものだと思えるようになれたら,それでいいのであって。
できることなら,詳しい人にしか響かないような,何も知らない人がなんとも思わないような文化より,若い人や海外の人,何も知らない人でも何か思うような文化でありたい。それが自分のお茶なのかな,と。
歌舞伎を見ながら,後ろの座席ですすり泣くおそらく原作ファンの若い人の前で,私もまた違うことで感慨深くなっていた。私が学部4年生だった頃に1年生だった茶道部の後輩が連絡をくれて歌舞伎を見ていて,ずっと中学生だった頃の吹奏楽部の顧問の言葉を思い出して,院生の今の自分がしてる茶道の方向性が見えたりするのだ。
伝統的な茶道教室に行くことと,現代の茶道(とりわけ奇抜な流れ)を追っていくこと、その両方に自分なりの理由が見つかった。その両方を知らないと,私のお茶は私のスタイルになり得ないからだ。