(自分の望む分野に関して)協力してくれる人
最近の人生の動きようはすさまじい。
哲学っぽい授業をしてるけど何の先生なんだろうかと思いつつ
茶の湯の哲学の話をしたら
同じ表千家で講師をされている先生だったりして
思いがけず茶と哲学は繋がる
「うん,茶道は哲学,実践哲学だと思う
黙ってたけど(茶道のこと)なんでも知ってるよ笑
打てば響くからなんでも訊いて」
「(゚д゚)」
しかもその先生の茶の湯の師匠
かなり有名人だった。
最短距離で繋がった。
必修科目を来年に回してでも
単位不要でも
その授業取ってよかった
*
教育学と茶の湯をどう無理やりにでも関連させようか
教育学部の指導教官も巻き込み苦心していたところ,
「もう社会教育の枠組みを出てもいいんじゃないかな」
「え」
「公民館とかカルチャーセンターとか
どこかで聞いたことあるような論文じゃなくて
なんでここ(の学部)でこれやるの
みたいな論文のほうがあなたに合ってるよねw
…っていうとプレッシャーに感じるかもしれないけど」
まさかの許可
さすが1年生の頃から世話になり倒してるだけあって
どれだけあたし(のキャラ)を理解してるんだ
そして
あたしの将来の展望(願望)を知ってる上で
好きにやらせてくれる教官は
どれだけ心が広いんだろう。
*
大っぴらに言えないけど(言ってるけど),
哲学がしたくて
そこに教育っていう視点はあたしにはなかった。
でもそれが言いづらい空気の中で
大人しくしてようとしてもいいことなんて何もなくて
生きづらいだけだった。
大学教授を諦めた頃からあたしの人生は止まってた。
今年の春から自分の中で温めてきて
願望でしかないような夢を口に出すと
自分でもトントン拍子すぎじゃないかと思うぐらいに
協力してくれる人が見つかった。
人はよく分からない夢を持っている人を
笑いもするし,
賭けてみたりもする。
能力の代わりにやる気しかないから
傾ける場所がずっと欲しかった。
でもそれは誰かが用意してくれるものでもなく
あたしの年齢的にこれから見つけるものでもなさそうだし
いま手荷物の中にあるものから探り出すものなんだと気づくのに
数年かかった。
これから手に入れるであろう素晴らしそうなものより
自分が価値を感じてるからこそ手荷物に加えてるもののほうが
よっぽどあたしの未来をつくってくれる
*
3月ごろの日記に,
やりたいことをなんとかして哲学と結びつけようと
躍起になってるのがあったけど笑,
解決策は自分で思いつくようなものであるとは限らない。
哲学を研究したいのであれば
○○哲学って名前の学問が近いようにも感じるけど
遠回りをしたように見えたあたしの選択は
間違ってなかったと
ここにきて思えるようになった。
でも本当に間違ってないかどうかは
自分次第だと思う。
ベンチャーでもない
どっぷり教育でもない
やっと自分で
闘う場所を選べた気分
人生がいい方に向いてきた。だなんて感じられたこと
久しくなかった。
珍しい転機なので
ちまちま綴っていこうと思う