「自分の人生のあり方を知ることのほうが、人間にとっては大切なのです」
図書館で「トマス・アクィナスの人間論」を探していたのに,結局借りてきたのはタイトルがあまりにも有名なこの本。この単行本は見開きの右ページに左ページの文章中の名言が引用されていて,文量は本の厚さの半分。名言っぽい部分だけでなく全体を読みたい人は左ページだけを読んでいけばいい形式になってます(1ページに必ず1つ以上名言があるっていうのもすごいと思うけどね笑)。借りたその日のうちに読めました。
- 作者: セネカ,浦谷計子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2009/02/21
- メディア: 単行本
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いわゆる「人生が短いと感じている者」あるいは「人生が冗長すぎると感じている者」に対し,痛烈というよりも非常に感情的な批判を重ね「万人のうち哲学に時間を割く人間だけが、悠々自適する、真に生きている人間なのです。」などの,断定的な発言が目立つ。
それもそのはずで,この本1冊丸ごと知人に宛てた手紙の内容なんですよね。知らずに読んでると最後の方でびっくりすると思う笑
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作者のセネカの中で「哲学」という言葉は本を介しての過去の偉人との対話って感じで使われている。”哲学とは人物研究”って言われてるような気分だなぁ。でも哲学者はみんな「philosophy」って言葉に憧れてるようにも感じる。愛知って言葉が大好きで。あたしも然り。自分のしている作業に好きな言葉をつけて呼ぶような感覚ね。
ここで,よく考えることが哲学だと思ってるような人間には耳の痛い話を一つ引用。
「自分は思慮深いとうぬぼれる人間の考えほど、思慮に欠けるものがあるでしょうか?
そういう人間は、将来、よりよく生きられるようになるにはどうすればいいかと、寸暇を惜しんで考えているうちに、結局、生きるための準備だけで人生を使い果たしてしまうのです。あれやこれや思いを巡らせて計画するのは、遠い将来のことばかり。
しかし人生最大の無駄は、そうやって先延ばしにすること自体にあるのです。それこそが、一日一日を取り上げ、前途を期待させる一方で現在を奪い去っている現況にほかならない。
生きるのを最も妨げているのは、明日をよすがとしながら今日を台無しにしている、この期待というものなのですよ。」
セネカの師ファビアヌスに言わせると,「そのような事柄に没頭するくらいなら、いっそのこと学問なんてしないほうがましではないか」
は,はい
それでも,この記事のタイトルのように「人生のあり方を知ること」は大切だと主張する。セネカの中では、よりよく生きられる方法を考えることと,人生のあり方を知ることは対極なのかもしれないな。そしてあたしは,その二つを混同していたな。
よく生きる方法はあたしも常々考えていて,だからといってよく生きられているのかも分からず,それでも考えることでしか自分でいられない気がしてる。あたしにとって考えるという行為は,自分を納得させるためのものでしかない。納得できないことのほうが多いけど。そんな目的意識で何を考えられるのだろうか(自己矛盾),考えること自体に価値があるとすること自体が,思慮深いとうぬぼれることではないのか。
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あともう一つ,自戒として。
「傍目ににはたいへん幸せそうに見えながら、自分の言動をことごとく嫌悪していると白状した人間など、愚痴をこぼしただけで、結局、他人も自分自身も変えられなかったのです。感情をぶちまけた後は、また元の生き方を続けたのですからね。」
人間,”変えられないからこそ愚痴る”っていう感覚だけど,逆だなぁと。嫌なら変える・続けない。「変わらないものは,変える必要がないと思っているもの」っていう内容の記事も最近見かけたけど。気付いたら自然と人間が変わってるほどには人生は長くないってことかな。
読んでて感じたのは,本の序盤にもあるように「実際に生きるのは人生のほんの一部」で,「残りの部分は人生ではなく,ただの時間」ってこと。例えば寿命の終わりがけは死ぬための準備期間みたいなもので,「もし病が治ったら,この先の人生は己のためだけに生きよう」なんて考えながら生きているのは”ただの時間”に当たる。
現代は「世のため人のため」が(悪い言い方をすれば)横行してるけど,他人のためにエネルギーを無駄にするなっていう,非常に個人主義的なこの語り口もなかなか,あってもいいと思う。あたしは個人寄りでした,ベンチャーとかかじる前は。他人のことは考えようとして考え出すのには相応しくないね。自発的に浮かんでくるものでなければ,「他人のため」なんて発想は押しつけがましくて,今の自分には。
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このタイミングでこの本を読んだことにもまた意味があった。単純に「生き方について考えることが好き」って言ってるだけじゃ足りない。
2000年前の言葉が,当時よりも今 必要。