息を吸うことに,しんどくならなくていい
見えそうになってまた消える。
身近な人にこそ優しくなく
ひどい時は親切な人にもうまく話せず
いつもちょっとした後悔に引きずられながら
同時に確実に進んでいく世界は
なぜだかあたしに優しいようです
これもまたある意味で二重生活。
後ろめたさって何かっていうと。
口から出る言葉と表情と立ち居ふるまいとそれを俯瞰する神経に
ズレを感じる最近,
うまく話せないから初対面の人に会うのは避けてるけど
顔見知りにもうまく話せないので大問題で
それでも人に会って生きていかなきゃいけない
話せない自分に後悔はまた増える
ちょっと自分何かがおかしい
なんでだ ?
後悔にばかり囚われたり
自戒や自制にばかり気を向けなければ
世界はいつでもぬくぬくと刺激的だ
だったら後悔や自戒や自制に目を向けなければ
それだけで幸せかもしれないけど
それは本当にどん底に陥ったときの最終手段というか,
どこかでブレーキかけてる自分がいるから
今の幸せがあるように感じてる
だからダメなのかな
ブレーキかけてないときの自分がどんな感じか
想像することもないんだよ
あたしにとっての1日は
それぞれが1日なりの価値を持ってる
そう実感する時間が少なかっただけで
今までもずっとそうだったと思う。
時間を創ることで
そう思って生きられるようになったよ
あたしはこんなにも
自分が生きることに必死でいていいのか
ってよく思ってきたけど
それ自体に後ろめたくなってないで。
目に見えないものは
ありがたく思うぐらいに留めて
背負わないようにするとかね
リミットのはずし方として
どう見えるかよりどう思うか
どうすべきかよりどうしたいか
そして
よく生きる以前にまず生きること