それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

一人で描く夢は,遅かれ早かれ終わる。

 

先週note公開した「夢」に関する記事の内容は,大別して以下の3点。

才能が無いから叶わないのではなく,人に望まれていないから叶わない。

・家族や友人以上の,半径数メートルより大きな世界に応援される能力を「才能」と呼ぶ

・夢を叶えるのが難しいのではなく,世界に応援されるような,個人的に完結しない夢を描くことこそが難しい。

 

noteでは躊躇われた結論を一言でいえば,個人的な夢が叶ったり有名になったりしたところで,とりたてて人のためにならないし応援されないということだ。

 

家族や身近な人は喜ぶだろうから,誰も幸せにならないとは思わない。ただ,夢が叶ったときに,周りの人が自分以上に嬉しいことは少ないかもしれない。*1

 

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夢が叶ったときの自分なら大きなことができそうで,誰かを幸せにできそうな気がする。けど実際には,夢が叶った状態を維持する方が忙しい。そしてその労力と,誰かを幸せにする努力は,方向性が違うことが多々ある。

夢を叶えたりすることは,本人が思っているほどには,人の役に立たない場合もあるのだ。そして叶ったところで自分しか嬉しくなかったら,(口ではなんとでも言えるが)実のところ,誰も応援してくれない。

 

幸せになっていく道を自ら描いて,それを遂行する能力も確かに並大抵のことではない。そこで自信を得た人を,何人も知ってる。

ただ,「才能」をさらに違う言葉で定義するならそれは,自分だけが夢を見るのではなく,誰かに夢を見させる能力のことだ。

このとき才能とは,自分一人の夢を叶える能力のことではない。


誰かが描いた夢が自分が夢に重なっていること
,もしくは自分が描いた夢を他人にも見せることのできる能力のことだ。

 

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私は今まで自分のためだけに「お茶」をしてきて,今だってきっとそうだ。「これただの趣味でしょ笑」と言われ続けてきた。

たとえば趣味という言葉は,自分の行為にお金が発生していないことを擁護してくれる。もし逆に「ただの仕事」だったら,お金が発生していない時点で大問題だろう。

趣味でしょと言われることに確実に腹が立っていた。しかしそう言われるのは,誰のためにもなってなくても,自分だけが幸せでもいい世界で「お茶」をしていたからだ。


趣味と言われている間は,誰かを幸せにすることや,自分の描いた夢を誰かにも見てもらうことを考えなくてよかった。


 

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 今思うのは,誰かが描いている夢を私が応援できたらということ。

まず私が,誰かの夢を見るのだ。*2


その応援というのも言葉だけではなく,もっと具体的で自分もそこに関与しているようなアクションでありたい。けど才能のある人や,頑張っている人や好きな人たちを,具体的な方法で応援することにも能力が必要なのだとも最近思うようになった。*3

 

だから,趣味でとどまっていたら人の役に立てないと自覚するときが,真面目にやっていれば必ず訪れる。そこが天井なのだとも思う。

そこから先を考えなければ,ずっと趣味でやっていける。しかしその天井が見えたときに思うところがあるのなら,それは「趣味という範囲に留まっていてはいけない」ことを意味する。

 

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写真でもわかる通り,毎日一人でお茶をしてきた。ただし自分が一人だったことに気づいたのは,誰かと関わった後だった。下手に人と関わるまでは,寂しいとか虚しいとも思わないものだ。


ほんの一例でしかないが,例えば修士論文をnoteで全文公開したとき,拡散を手伝ってくれる人は意外なほどいた。自分が将来的にどうお茶をしていくのか悩んでいたことを話せば,私自身より考えてくださる(そして具体的に手伝ってくださる)方々にも出逢えた。
ありがちな愚痴として片付けられてもおかしくないところを,真面目に取り合ってもらえてこちらが驚く。(一人でいる時間が長いと,応援され慣れていない。)

お茶も現代茶道の研究もずっとやってきたことだったのに,今の自分は1年前や半年前と違うのだと,そのとき気づいた。


それと同時に,個人的に幸せになってありがたがってるだけでは,もう不義理だと実感した。趣味ではもう,特に何もお返しできない。もう天井は見えてる。

 

 

一人で夢を見る時間は,遅かれ早かれ終わる。

 

夢を見るのをやめるか,

その夢を誰かと一緒に見ることになるのか,

どちらかの理由で。

 

 

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noteに投稿した記事↓(写真多め)


当ブログに投稿してあった記事↓(テキストは上と同内容)

 

*1:周囲からのプレッシャーで叶える夢は,逆に自分が全然嬉しくない可能性があるが。

*2:しかしあくまで,自分一人でもやっていたいことがあれば,私は勝手にやっているだろう。

*3:「応援してます」と伝えることには,能力といった観点は要らない。もう少し具体的に関与して誰かの力になるときは,自分の夢に直接関係あろうとなかろうと力が必要になる。