それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

「私たちは他の人々の人生を生きることはできない」


ずっと「自分の人生しか面白くない」と思って生きてきた。他人の人生を垣間見ても,汎用性も低く,自分の人生に活かすことができないと思っていた。

そんな数年前の自分が,研究対象が同じだった指導教官だけを頼りに大学院を選び,指導教官と同じ研究手法を採用した。文化人類学の売り物である,聞き取り調査(インタビュー)と参与観察(フィールドワーク)である。探し出した日本各地の研究対象に会いに行き,インタビューのお願いをする2年間を過ごした。これまで他人の人生に興味がなかったのに,脳内は一気に他人の発言,思考,その分析と解釈で埋め尽くされた。 

 

研究対象本人でない限り,研究者は「解釈」しかできないと主張したのはクリフォード・ギアツだ。たとえ人類学者が研究対象の人々と同じ経験をしたとしても,人類学的資料(エスノグラフィー等)とは見なされないという立場を取っていた。

私たちは他の人々の人生を生きることはできないし,それを試みるというのは不誠実である。かれらが,言葉,イメージ,行為によって,かれらの生について語ることに私たちは耳を傾けるしかないのだ。(Geertz 1986: 373)

だからこそ,私が大学院で学んだことの一つは,一人ひとりが(たとえ私には理解できずとも)彼らなりの合理性を生きているということだった。

研究対象の人々と私は現代茶道への強い関心を共有していたが,それでも全ての意見に首肯できる訳ではない。しかし彼らの意見が間違っているかどうかは,極端な話,私の分析には関係ない。自分にとっての合理性を生きる私が(私にとって)間違っていないのならば,彼らなりの合理性を生きる彼らもまた,間違っていないのだ。

彼らの意見の正否を疑うことは,彼らと「私」をあまりに近づけ過ぎている。ずっと研究対象と自分を同一視しないように気をつけていた。なぜなら同一にはなれないのだから。

 

 他者の合理性,及び経験主義の話はこちらでしてます。

 

 

一方で私が得意としたのは,フィールドワークとして訪れた茶会以外の時間で,ごくプライベートに近い空間にお邪魔することだった。本当に何のマネタイズも考えておらず,金銭的に無欲だった私を警戒感なく招いてくれて,ほぼ全員のご自宅に伺ったり,可能な限りご飯をご一緒するなどしていた。茶会前後の後片付けに参加するのは当然のこと,古くからの知人や家族なども紹介してもらうことで,インタビューから得る情報以上のものを得ていた。

昔からそのコミュニティにいたかのような顔をして,それでも遠方から訪れたゲストのような扱いを受けながら,既に出来上がっている人間関係を覗くという厚かましいことが,研究対象の人々に対してはできたのだ。

 

修論を提出した後も,この癖は続いていた。なぜ「決して自分と同一ではない」誰かの活動に参加し,納得できる面もできない面も把握し,大いに突っ込みを入れながら,それでも関わり続けることができていたのか。

おそらく私は,彼らの人生を「影響のないところから追体験」している気分になっていたのだろう。*1

 

そこで人類学者には選択肢がある。例えばNPOの構成員やある集落の住民が研究対象なら,自らもNPOなどの団体の一員になる,研究対象と同じ集落に住むなど,研究対象の存在する社会に自らを置く手法があるのだ。参与観察におけるコミット度合いの中でも,「ネイティブ」と呼ばれる次元である。(「濃厚な参与(thick participation)」とも呼ばれる)

 

「経験」を,あくまで一人の個人によって所有される主観的な現象だと考えると,人類学者のような他人は,その主観的な現象を経験することはできない。冒頭の「他人の人生を垣間見ても,汎用性も低く,私の人生に活かすことができない」という考え方に近い。

ここで「経験」を,「人々に共有され,関与し,そしてまた介在する,個人間の媒体(=「個人間経験)」と考えてみよう。その土地や集団における事象は個人に所有されるものではなく,人類学者も「経験」できるものなのではないだろうか。

 

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先日,ある茶会の帰りに別の茶会に顔を出すと,打ち上げの準備が始まるところだった。大学院時代と同様,気付いた時には着物をたすき掛けにして,キュウリといぶりがっこを切っている。癖が抜けていない。

その会場もまた,一年半ほど前にインタビューのために訪れた町屋と似ていた。その中で,しゃぼん玉のライトアップのサプライズ。こんな風景を,残りの人生でどれだけ見られるのだろう。

 

経験主義も心得ているつもりだし,クリフォード・ギアツも好きだ。私の経験に人類学的資料としての価値などなかろうと,民俗誌かのようにブログを更新するだろう。それでも思ったのは。

 

人生は追体験するものではない。体験するものだ,ということ。

 

ずっと「自分の人生しか面白くない」などと思って生きてきたから,誰かになりたいとも思ったことがない。そんな若造(もう若くない?)が,他人の人生を垣間見させてもらった。学術的関心が今後薄れても,研究対象だった人々が一瞬で他人になるということはないだろう。

それでも参与の仕方を変えたいと思ったのは,ある意味で論文の自然な帰結である。「濃厚な参与」は人類学者自身の変容を伴う,とはよく言われること。

 

研究を度外視していうならば,大切なのは,私が私としてこの人生を生きること。
そしてこの人生が,生きていたいような人生であること。

この人生でどうやら私は,厚かましく既存コミュニティに混ざり,誰かに読ませるための文体とは思えないエスノグラフィーを書き溜めている。茶道史全体を概観しながら,その流れを2010年代という横軸で切り取ってきたけど,次はどうやら「ネイティブ」として,引き続きお茶に関わっていく気がした。

 

過去だけを歴史と呼ぶのではなく,今後を含めて歴史と呼ばれるのである。2010年代を切り取った後に想いを巡らすのは,この現在を含めた未来のことだろう。

仮に「お茶」がこれ以上廃れずに続くとすれば,絶対に今までとは違う力が働く必要があって,その力が作用する場にいることが「ネイティブとしてお茶に参与する」ことなのだと思っている。研究するだけ,茶会をしているだけではもう,足りないのだ。

 

私が濃厚に関わろうとしたお茶という世界で,まだできることがあるという予感だけが,ここにある。

 

 

参照文献
Geertz, Clifford. Local Knowledge: further essays in interpretive anthropology
. BasicBooks.(1983),
日本語訳はこちら参照:クリフォード・ギアツ梶尾景昭他訳『ローカル・ノレッジ―解釈人類学論集』岩波書店,1999年

 

以上の文章を2月20日に書いた後,今日までずっと更新できていなかった間,研究対象の人達の用語で言うところの「プレイヤー(人に点てる茶人)」のような案件をいくつかいただいた。気持ちの整理,覚悟とはよく言ったもので,心の中は現実世界と呼応していると思う。

そして上で書いたような「まだできることがあるという予感」は,1ヶ月経った今の時点で,もう「予感」ではなくなっている。

 

 

*1:研究対象に接すれば接するほどに本人たちと近い経験をしていると感じる(これは精神分析学者のハインツ・コフートの用語でいうところの「近い=経験」という概念を前提としている)といっても,「近い」ということは同一ではないということなので,一定の距離を保って体験してるということだ。