それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

幸福は,無に見えるところから生まれる。

 

上の記事で,ある外国人が日本での就職を目指していて,私がテコ入れした瞬間に彼が最終面接まで進んだと書いた。(超要約)

その後,その外国人のビザが切れるタイミングに合わせて一緒に彼の母国に行き,採否の返事を待っていた。時差やお盆休みもあって,言われていた期日通りに返事が来ずにムズムズしていた頃,日本で買った道具で茶会をして,ふと落ち着いた彼が一言「I feel good when I can feel future. I like you」などと言っていた。

 

その翌日,かなりの倍率でしたよと勿体つけた文面で,採用通知が届いた。
約2ヶ月後だけど,彼の再来日が決まった。

私は過去の留学とかの失敗を引きずって,彼の成功を応援しきれずにモヤモヤしていたけれど,彼とまた日本で会えることが嬉しくない訳がなかった。

 

彼の勤務地は東京ではないので,来日してもまた遠距離である。「距離を楽しめないなら,そこで終わりかもね」とも言っていた。お互いの居住地とは違う場所に行って会うのも楽しいと思うと言って,彼は日本での勤務地から韓国までの航空券をPCで探し始める。

問題を悲観するのではなく,私が不安がってる時に最速で解決策を示すのがこの人だ。彼に頼り切っている自分がいた。
単純に旅行としてシルクロードに行きたいと言う彼を見て,別に韓国に限らず,この人といれば,どの国でも行けるように感じた。(そういう私のお荷物思考を察して,彼は「(シルクロードは)一人で行くかな」と行っていたけれど)

 

ただでさえ体調不良でも迷惑をかけ続けた自分。

 

前回の記事で,自分ではとても買えないような茶碗を無償で貸してくれる人がいる時点で,無からお金が生まれているようなものだという話をした。パリのど真ん中の彼の実家に滞在して2週間分の宿代(+交通費)が完全に浮いたのも,彼に出逢ったからだ。彼に出逢う前の自分ではあり得ない状況だと考えると,幸運が降って湧いたようなものだろう。

 

 

それに加えて,これだけ相手に頼り切ることを許してもらえているだけで,私はどれだけ救われてるのだろうか。自分のキャリア選択が過去にうまくいかなかったことを理由に,相手の就活を手伝ったとか,それで職が見つかったとか,私が相手に何を為したかばかりを叫んでいた。

しかし実際には,私は彼の成功を手放しに応援できてもいなかったし,彼がうまくいっていなかったとき,私は充分に手を差し伸べてなどいない。相手が辛かった時,物理的にも近くにいた人たちの方が,よっぽど彼を助けていただろう。

 

全てに因果があると考えることは,一回失敗する度に自分や他人に原因を求めて責めることでもあった。同時に,何か理由がない限り,幸せになれないと考えることでもあった。

何も成していない,そして成せるかも分かっていないこの途上で,私は既に充分すぎるくらいに幸せなのだろう。

 

例えばこの人とならシルクロードも行けそうだなどと,文字通り空想みたいなことを考えた自分に驚いたけど,きっとそう思えるだけで,私は空想した以上の効果を実際に受け取っている。
別にそれ自体は,私が与えた何かと引き換えに受け取っているのではないはず。

 

お金は,何かと交換に生まれることも多いのだろうけど。

多くの幸福は,何も無いように見えるところから生まれている。

 

将来を感じられるときに気分が良くなるのは,彼だけでなく私もだ。
彼は私の未来そのものだと思えるほど頭は沸いていないが,彼といると,未だに詳しく想像できない,でも近い将来の自分が,ぼやりぼやりと浮かんでくる。

それはもう,無だった場所から,将来を生み出し続けている瞬間そのもの。

過去に実現できなかったことが未だに引っかかっている私に,同情するでも見放すでもなく未来を見せた人は,決して多くなかった。仮に彼が私の将来そのものじゃなくても,私はこれまで無視し続けてきた自分の欠陥を省みて,多くを受け取っている。そしてこの学びが続く限りは,彼といる気もしている。

 

私の帰国前日に,彼は「Live this moment. The next moment will be coming soon.」と珍しく楽観的に聞こえる事実を,でも静かに話した。

手に取ることのできない未来がすぐに今日になって,今を踏みならして過去にしていく。その途中に彼がいることだけは,現時点でも既に確かなようだ。

 

 

パリで色々と起こったことの一部として,彼との将来の話は,こちらの記事に回しました。