「人の言葉」を聴くこと。
今年の始まりをまだはっきりと覚えている。昨年の大晦日に書いた上の記事に,桐谷ヨウさん(id:fahrenheitize)がブックマークしてくれたのが元旦だった。(そういえばブログタイトル変わってます)
この人、好きだな。 / “いい意味で,いいときはいい。 - こ の 日 常 に 奇 跡 起 こ せ !” https://t.co/JEaVFUvoOR
— 桐谷ヨウ(ファーレンハイト) (@fahrenheitize) 2016年1月1日
そのブクマに対する私のコメント。まだファーさんって呼んでる。
RT>ファーさんが新年初ときめき。(ありがとうございます!⑅◡̈*)
— あまんじるな (@amnjrn) 2016年1月1日
夏頃,そのヨウさんに「関西行くならズイショさんにも声をかけてあげてくださいよ!」と言われ,何の脈絡もなくご連絡を差し上げたにも関わらず,ズイショさん(id:zuiji_zuisho)は会ってくださいました。もう一つ似た流れで,ズイショさんが「はせさんは」と仰っていて,そうじゃなくてもお会いしたかったのですが,はせおやさいさん(id:hase0831)にお会いできたのは,その後押しもあってのことでした。
ブログを細々続けていて良かったと感じる一年で,はてなブロガーの皆様,本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
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同時に,あの人に会ったら?って言われたとき,無理して会わないのも一つの選択なのだろうけど。不可能でない限り,目上の方に「〜〜したら?/するといいよ」と言われたことは,全て本当にやってしまった下半期だった。従わない理由を考える必要はなかった。私がしたかったことは,研究対象だろうとなかろうと,一人でも多くの興味深い人に会うことだったので。
「この人の言うことなら正しそう」とか相手で判断するのではなく,自分が従いたいかどうかを考えていたから,判断が早かったのだ。逆に自分がそうしたくないなら,好きな人や尊敬する人に何か言われても,特段従わなくていいと思う。それでうまくいかなかったら,その相手のせいにしてしまう恐れもあるので。
でも上の例で言えば,誰に言われなくてもズイショさん会いたいじゃないですか。私どんだけ初期の頃から読んでると思ってるんですか!(3年前以上から) それを後押ししてくださる言葉を聞き入れることって,至極当然だと思うんですよ。
選びたい選択肢の話は上の記事でもしていた。
選択肢の選びようが無い状況も多い中で,最初から最後まで自分で選べるだなんてことは少なく,私も予想外の連続だけど。それでも自分で選んだと思えていなければ,何かを恨んで生きることになる。逆を言うと,自分裁量だと思えてる範囲内では,幸福度は高い。
人類学がそういう手法だからっていうのもあるけど,研究の方でも,お会いしたい若手のお茶人さんのところに,次から次へと伺っていた。
それはそれはもう,私に必要な1年だった。頭の中は「自分で選んだと思っている選択がもたらした現在」と「会ってきた方々の言葉」で溢れかえっている。
来年は,「自分の言葉」が散々増えることでしょう。
皆様も,よりよいお年をお迎えください。
2016/12/31 スーパーに十二支の和菓子が1匹ずつ売ってたので,猿と酉でゆく年くる年。家にあった謎の炭と一緒に。
— あまんじるな (@amnjrn) 2016年12月31日
今年も一服ずつお茶を点て,色んな人のお茶をいただきながら,無事に終えることができそうです。またきっと良い年になるでしょう。 pic.twitter.com/NnWsdKJKQm