それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

独りであるということ。

 もう二年近くも前のこと。それは三十代ぐらいの,働いている女性に人気の映画であるようだった。十九時過ぎに単館上映の映画館に駆け込むと,左右の席にゆとりを持たせて座る女の人が数人と,持ち込んだパンを食べている女性の背中が目に入る。彼女らの両腕が持て余しているゆとりは,ひとえに彼女たちがそれぞれ一人で訪れていることから生まれている。彼女たちが創り出すその空間に,私もひっそり脇役として混ざることとなった。参加する資格は持っていた。

女の一人旅もまた目に付くものである。宿の女将さんに勧められたところが全て回らないお寿司屋さんだった場合,丁寧に教えてもらったのに結局行かないという選択はできるだろうか。その結果,地元民しか知らないようなお寿司屋さんに一人でお邪魔する羽目になった。ここでは人数ではなく当時二二歳という年齢の方が問題だったかもしれないが。

さらに上級になると,一人旅で訪れた先で単館上映の映画を見るという合わせ技もある。公開が終了した,または上映している地域が少ない映画などは他県を訪れてでも見たいものだが,こうなるといよいよ地元民に馴染む。キャリーバッグなど持たずに荷物を少なくして,地元民に見えるぐらいが一人旅は安全である。

 

f:id:amnjrn:20140918194535j:plain

 

あれから,一人では行きにくい大衆映画を一緒に見に行く人はできたのだが,誰かを誘いにくい(面白くない可能性の高い)単館上映を観に行ったり,一人で自分の行きたいとこばかり回る生活は今も続いている。ジャマイカ料理を食べに行けば,店員さんに「お一人ですか?え,一人?!」と言われ,イスラエル料理のお店では「二〜三人で取り分ける料理ばかりなので,お一人となると…」と繰り返し言われた。「久々にこんな気持ち味わったわ」と,他の人にはわざわざLINEしないようなことを話す相手が今の私にはいるけれど,いつでも「あの頃」の気持ちを再び味わうことができる。これは別に相手やその人との距離のせいではないのだ。私が好き好んで一人の時と同じ生活スタイルをしているから,だろう。

一年間ほど一人でいた間に,どう転んでも一定水準以上の日々を保つ術は確立できた。一人だったからこそ楽しいと言うつもりは無いし,楽しかったときに誰かといたことも多かったけど,楽しむためのスキルは全て「一人でいた間」に得たものだということは強調したい。誰かがいないと不幸せだと思い込んでる人の方がよっぽど不自由で不幸せなのであって,一人でいても楽しい,そこに誰かがいても楽しい,という人間に勝るものはない。

 

恋愛の例でいえば,付き合うときも別れるときも誰にも相談せず,周りの人間が気がつくより前に付き合っていて別れている。周囲の人の記憶のアップデートを促すために吹聴したりしないから,数人前の人と今でも付き合ってると思ってる人とかもいた。近しい人にさえ,全て事後報告な気がする。私がいつ誰といたか知ってる人が少ないように,いつ私が一人でいたかを知ってる人も少ない。つまり,独りかどうかすら誰にも知られないような生活をしていた。そう考えると,誰といようと一人でいるのと変わらないんじゃないか。楽しさも味わいつつ「あの頃」の気持ちもまざまざと思い出せるし,きっと今でも,いつでも孤独と二人ぼっちだ。

「じゃあどうするん,一人で生きるん?」と言われたけれど,まぁ首肯するしかない。どう生きても孤独であるとすれば,生きていく上で存在するのは“特定の誰か”というより,「俺は一人にしたくないで」と言われて“私はどう思う”か,その感情だけなのだ。一人で生きている中で,時折誰かが介在して,私は嬉しくなったりイライラしたり。一人でいても感情はある程度動くけれど,誰かによって感情が変化するその間だけ,私は一人じゃないかのように感じられるのかもしれない。

 

追記:2016/03/09 02:10
とても大事なことを書き忘れていました。 最後の段落のセリフを言われて私は嬉しかったし,今も一人じゃないからこそ,ここに書いたような強気なことを言っていられるのだと。 寂しいとか孤独とかいうことすら,それを吐露できる相手がいないと感じることができない。本当の意味で一人でいたときは,今より孤独も何も感じなかった。変な話だけれど。

この下の記事で友達について書いた話が自分にも当てはまったのかも。