それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

Tea ceremony, それはLost in Translation

 

上林竹庵が千利休の前でお点前をした時に,緊張し過ぎてお抹茶こぼしたり茶筅倒したりして散々で,利休の弟子が竹庵を笑う中で利休だけは「Nervousness is sincerity. (緊張するということはそれだけ誠実だということ) それこそが茶の湯ではないか」とお点前を褒めたっていう逸話がある。

私の発表の後に,先生がなぜかその逸話を持ち出してきたのが印象的だった。笑

 

30分喋るようにと言われていたプレゼンは,もう一人の発表者が来なかったこともあって(私も諦めかけたぐらい準備期間が短かった),発表の途中でちょいちょい質問はさまれるし,結局1時間以上話していた。人間そんなに長時間緊張してもいられないのだ。

 

その日本文化の授業は私に「あなたは本当の茶人かもしれませんね」と言った先生の授業なので,違う学科だけど受講している*1。日本語がかなりできる子が受講してるので日本語も使用可能だけど,基本的には英語で話すことにした。

 

 

茶道と茶の湯って一緒なの?っていうのは結構な頻度で聞かれるけれど,それはもう人によって言い方が違うだけ,としか言いようがなかったりする(時代によっても違う)。発表のときに聞かれたのはまず「tea ceremony」とか「way of tea」ってどう違うの?だった。

茶道のことをtea "ceremony"と言ってしまうのはミスリーディングだと正直思う。一回一回の茶会はtea ceremony感あるけど,私が家で点ててるようなのはceremonyと思ってやってる訳じゃない。かの岡倉天心が「茶の本(The book of Tea)」で茶道を海外に紹介した時の言葉がtea ceremonyだったんだけど,実はその本の中でもう一個,「Teaism」って言葉をつかってる。全ての訳本を読んだ訳じゃないけど,teaismは茶道って訳されてるはず。

本文中に「Tea ceremony」が出てくるのは3回なのに対して「Teaism」は15回出てくる。なぜかtea ceremonyの方が定着してしまった。見た目が完璧日本人のバイリンガルが新しい概念の言葉を創り出すよりも,既存の単語を二つ並べた方が意味も分かりやすいし受け入れられやすかったんだろうか。

 

さらに言うと「茶の本」では「宗匠」の意味で「Tea-Master」が37回「tea master」は2回つかわれてるけど,いつも「ティーマスターってなんかださい笑」ってなるので,本文中で1回しかつかわれてない「teaist」の方を流行らせてほしかった。ちなみにteaistは「茶人」って訳されてる。

 

「Tea ceremonyよりTeaismを流行らせたいです!」って言ったら,先生が「それはLife workになるかもしれませんね」と言っていた。

一生がかりの,畢生の仕事。Life workという言葉は妙に腑に落ちて,私もできるかもしれないな,と何も考えずになぜか思ってしまったのだ。

 

 

1906年に本が出版されて以来完全に定着した言葉が,今自分がやってるお茶を形容できないのなら,おそらく違う言葉が必要になるのだろう。自分がその言葉に寄せていくのかもしれないけれど。

全く喋れなかった人間が1時間ぐらいは英語でプレゼンしていられる程度には,お茶が自分をここまで連れてきてくれた。もともとはお茶界になんの縁も無かったけど,何か残せたらなとは思う。

 

 

とりあえず目前の,全然違う授業のプレゼン準備(×2)をします。

Lost in Translation(映画)はもちろん観ました笑)

 

*1:お茶の研究だけど日本文化とかの人文系にいるわけじゃなくて,実は社会科学系の専攻です。文化自体に興味はなくて,あくまでお茶やってる"人間"に興味がある。

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