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それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

「何がどうなっても,私はこれをする」

幸せって 生きる心構え

 

入学してから2ヶ月半,つまり2ヶ月半前に出逢った人に,ここ一年の間,いやほぼ半年前のことだけに絞って,英語と日本語ごちゃまぜで話をするのだけど。

「初めてここ(今いる大学)の面接を受けたとき,自分は留学がしたいのか,哲学がしたかったのか,お茶の研究がしたかったのか分かってなかったんです。ただ,今の指導教官の先生に会って,留学したいと胸張って言えるだけの英語能力もなく,哲学のバックグラウンドがないと志望校には言われてた状態でしたし,その面接の時に,自分にはお茶しかないと思ったんです。もしもっと早くにそれに気づいていれば,哲学科ではなく日本研究とかで海外の院に出願してたかもしれない。そしたらバックグラウンド不足とは言われなかったでしょうし,ひょっとしたら留学できてたかもしれない。それは私の過失です。

私が留学してても海外で(フィールドワークとかで日本に一時帰国とかするだろうけど)お茶の研究をするつもりでした。哲学科に行ってても私はお茶を研究対象にするでしょうね。そしてお茶の研究をする環境がここ日本に整っていて,それがたまたま哲学科とかでなく学部時代の教育学でもなく,今の専攻だった。その結果今お茶をしている。だから満足です。」

 

「何がどうなっても私はこれをしている」と思えることを今できている,それ以外にどんな成功がありえるのか?

私は今でも何も成し遂げてなんていない。それでも,全て失敗してきた結果,したいことが今できているのなら,過去の何が失敗だったというのか。

 

「何をどうするのか」で成功を測ってばかりいて,「それでお前はどうするのか」の部分に気が回ってなければ,一生幸せなんて感じられない。

 

 

 

数ヶ月前までずっと感じていた,惨めったらしい気持ちとセットの「つらさ」はまだ感じていない。別に何も惨めじゃない。いや本当は英語も全然できてなくて,周りの同期(皆さん年上)がとても優しいおかげで惨めさを感じずに済んでるだけだけど。でも,数ヶ月前までは必要以上に惨めったらしさを感じてたから,私はずっと沈んでたんだと思う。

 

「能力がなくてここにいる」なんて他人に絶対に思わせない。ここにいる人に「なんでお前ここにいるんだよ」とも思わせない。「仕方なくここにいる」なんて自分にも思わせない。

そういうこと言ってくる人のために日本にいたいなんて思わないし,「そのために日本にいたい」と思わせてくれなかった程度のものに縛られてもいけない。

どんなに根詰めてもそれが楽しくて,寿命磨り減ったかなんて考えつかないほどにやってることが楽しくて,ここにいるからそれができて,こうやって生きたことのまだ無いやつに,何も文句は言わせない。

 

今の自分は,こうやって茶道そのものも続けられてるように,単純に楽しいからお茶の研究を続けられてる訳でもない。今後楽しくなくなっても,「お茶をすると決めた覚悟」があるから,最低でもこの大学院での2年は走りきれると思う。そしてもう走り出している。

根拠は無い,多分これでいい。

 

 

 

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