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それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

縁のある場所にしかいけない,という現実。

 

これまで「大事そうな決断」はどうやってしていただろうか。

大学は高3のときの担任の一声で決まった。志望校に入れそうになかったあたしは第二志望を全然考えておらず,センター試験の点数で検索してA判定だったところを見ていて,担任が「面白いとこ出てきたな!ここ受けるぞ」とか言い出したので,そこ受けたらウケるのかなと思って受けただけだった。哲学科に行きたかったあたしは,こうして全然違う学部学科に進み,卒業した。

その担任に先日会ったときに,他の生徒の合格も嬉しかったけどあたしの合格が一番嬉しかったと言われた。大学と学部と学科,全て担任の判断なので,あたしより担任のほうがプレッシャーを感じていたんだろう。

その高校も,他に受験したところ全て不合格だったから入学したんだけどね。

 

そうして,理由も期待もなく入った大学では,とても良い思いをした。

 

きっと大学院も,どこに進むことになっても楽しい。ただ今回は,あたしにしては珍しく,選択肢があった。

留学に行きたいという気持ちだけに目を向ければ,国内の院に進む選択が逃げに見える。でも今の自分の気持ちからして,その日本の院に進まなかったら同じぐらい後悔すると思ったのだ。今目の前に留学と国内の院,両方の選択肢が並んでいれば留学した。けれど今の段階では留学させてもらえる能力がないことだけは確か。

国家試験みたいに夢の職業に就くには避けて通れなくて,その勉強が職業に直接結びついているなら,諦めないことが正しいんだと思う。さて留学はというと,卒業しても何か理想のものになれる保証なんてないのだ。留学すること自体が夢の人も,いつかはその留学も終わり,その先も生きていかないといけない。あたしの場合,田舎のほうの無名の大学でもいいから留学したいという思いはなく,研究する環境としてはむしろ日本の某大学が海外に次いで第二志望だったので,そこに合格したときは嬉しかった。

 

 

「留学はどうしてもしたいわけじゃないの?」「諦めるの?」という言葉は不適切だ。何も諦めたつもりはない。留学に限らずもっと面白い場所に行けると思ってる。

今年の4月からどこかの大学院に落ち着くことよりも,留学のために英語ばかり優先したから最低半年の空白期間ができたのだ。でも,学部生だった頃に諦めるなんてできなかった。空白期間ができてでもギリギリまで頑張った後だから「諦める」ことも選択できるようになったんだと思う。

同時に,同じ人に「留学は日本の院に入学してからもできる」「そこ(日本の院)もいい大学だよ」とも言われる。彼ら彼女らの話を聞いていると,あたしがどうしたら満足なのか分かったもんじゃない。

 

あたしはどういう決断をしたかというと。

この面接のあとには「今の自分では留学どころかこの日本の院でやっていくことすらしんどいけれど,もし受かったなら」と思っていた。生まれて初めて自ら(周りの人を巻き込みながら)出願して合格したところだから,文句なんてない。

 

卒論の主要参考文献の著者がいるからと学部と学科を決めて,その院なら今までしてきた英語の勉強も無駄にならないし(今まで以上に英語をすることになる),茶人としての自分を許容してくれる環境は世界中にも他にはなく,現段階では縁しかないと思っている。今度は一冊の本で最終学歴が決まるのか。これまでも転がっていった先で楽しかった人間なので,どこでもやっていけるっていう変な自信がそうさせた,ともいえる。

 

「ただ行きたい」だけの留学より国内の院を選択する理由は頭でも分かってる。それでもその日本の院の入学書類を3週間ぐらい書けずにいた。

別にこだわってもいいだろうけど,いつまでこだわるのか。分かったようなことを言うのは簡単だけど,何が正しいのかは誰も分からない。

 

 

 

珍しくあたしに選択権があったから悩んでみたら,時間かかった。

だけどようやく,締切の早かった入学書類の一部を送れた。残りの入学書類も送ろうと思う。

 

大学の友達に話したら「後から振り返ったときに点が繫がるってジョブズが言ってたけど,まさにそういう生き方だと思う!大勢の中の1人じゃなくて,(本名)っていうブランド背負ってるよ! ほんとにこれからが楽しみ」って言ってた。

彼女の期待に応えることは,留学するより難しいだろう。

 

この選択の先で,「見られるはずだった未来」より面白い未来を見ようと思う。

 

 

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