一瞬先も,好きでいる意志。
『あなたに続く一歩一歩
地獄の最中もくぐり抜けなきゃいけなかった
でも 一日だって譲らない
愛する人,あなたに好きと言うために』
And all of the steps that led me to you
And all of the hell I had to walk through
But I wouldn't trade a day for the chance to say
My love, I'm in love with you
これを訳すとしたらそんな感じだろうか。
なんでここの歌詞が好きなのか引っかかって,繰り返し聴いていた。
*
以下,ラブソングなのに人間を例に出しません。
例えば期間を「好き」の理由にする人の場合,3年も茶道を続けているからとズルズルしていれば,来年には茶道が4年分の価値を持つ。でも,期間を理由にしたくないのだ。黙っていれば安定していられるものにも自問自答してしまうのは,悪い癖かもしれない。
それでも,取り留めずに過ぎた数年間は,意識して生きる1日に勝てない。
茶道を一年後も続けているとしよう,その一年後の熱の方が今よりも高いことを期待して生きることに意味はあるのか。今の温度で勝負するしかないんじゃないのか。
今好きだから一瞬先も好きで,今この瞬間に好きでいることを辞めれば,本来なら一瞬先もないんだよ。
濃さに関わらない期間の長さとか,一年後にはもっと好きになってるとか,そういう時間幅で測ることに違和感がある。
過去の長さでもなく,未来に期待するでもなく,
ここを起点にした,今この瞬間にしか「好き」は無い。
熱の話をしたけれど,感情で感情を測ることも同様に難しい。
こんなにもムキになる自分がいるから好きなんじゃないかとか,涙が出るから好きなのかもしれないと思い込むとか,ありがちな尺度だけど。
これは結果の表出の仕方がそうだったというか,うまく言えないけれど,好きってそういうことじゃないかもしれないな,と。
好きでいようとすること,
その意志が
好きでいる対象に示せる愛なんだと思う。
不機嫌や悲しさの中に探すんじゃなくて,
好きでいようとすること自体が,好きそのものの正体では。
『一日だって譲らない』
同じとは言わないけど,意志も感情と紙一重か。
もちろん地獄も通り過ぎなきゃいけない。でも,愛とセットになった不快さや悲しさで「好き」を説明するんじゃなく,意志で説明してたから好きなんだろうな,この曲。
Christina Perri - The Words [Official Audio] - YouTube
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