それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

人生はたいてい続くから,助かる。

自分が選んだ決断の重さなんて分からないのは,決断した時点ではまだ何の重みも持ってないからだろう。1年経ってようやく分かるようになったのは,失ってきたものの中でも一番重いものの重み。失ってきたもの全部の重みなんて感じていられなかった。一番重いものの重さも,何も感じてない顔をしていた。

 

実際には,「あたしが失ったものの中で一番重いもの」に責められたことはほんの一言も無い。むしろ「ほんとに俺のこと思って言ってるんだね」って言われて1年以上経った今でも同じこと。

 

「時間は限られていて大変だろうけど,今感じてる苦労を味わえるのはそれを体験している自分だけと思って,楽しみつつその試練乗り越えていってね」

と付け加えた彼は,1年ぶりに連絡が来たとは思えないほど何かを分かってるかのようで。今も遠くに住んでるし相手はSNSもしてないけど,5年間あたしといただけのことはある… その相手は今不幸かもしれない,というこの状況。

 

 

前置きが長い!

 

 

 

 

ごめんなさい。

あたしは今の生活がとても楽しいです。

 

 

こっちが忙しかったときに世界中のお茶クラスタから@tweetが飛んできてみんながアッサムティーの話をしだしたり,イギリスのお茶会社からなぜかサンプルを送りたいって言われたり,

Markが珍しく荒ぶってるから話を聞いてあげたら,現在感じてる不満が「there's no future for democracy」だって言われてそれは解決できんわってなったり,

毎日更新する抹茶の写真につける英文が,ちゃんと人に届いてることが実感できたりする。

そんなこんなで英語の勉強を受験勉強だと感じなくなって,日々の学習もゆるゆる楽しい。

これらの出来事を話せる相手が日本にもいて,「あたしが会いたい人」とご飯行く時間が取れるようになった今の生活。

 

その「一番重たいもの」に限らず,他の誰かといたときにはこんな生活じゃなかった。誰かといると,その人の意識低い部分が許せなくなってたけど,今あたしが注視するのは自分の意識の高さだけだから。正直独り身のときの方が友達と恋バナできてる。かたち的には独りになった今の生活の方が,ごめん楽しい。

 

なぜかといえば,失ってきた全てのものには,失うだけの理由があるからだ。一生その生活が続いてもいいと思えなかった,もっと言うと「変えなきゃいけない」理由があったから。

もちろん,ただ何かを変えただけで今の生活にたどり着けた訳じゃない。変化の前後,この数年の間に嫌な思いもした。それらに対し想い出補正をするつもりも毛頭ない。

反対に,相手を勝手に重荷に感じる必要もないのだと思った。相手は自分が不幸だとも幸せだとも告げず,あたしが負担に感じないような話し方をしてくれてる訳で。色々と大人だから。彼を幸せにする唯一の方法はあたしが離れることだったのかもしれないし,自分が不幸にしたと思うことすら思い上がりなのかもしれない。

 

 

相手はどうかは分からないけど,自分は楽しく生きられるようになった。

より楽しい生き方を見つけました。というのが今あたしに出せる答え。

 

そのための決断が正しかったかは分からない。今の時点では,失ったものの重さだけがあたしの決断を支えているような気もするけど,ネガティブな面だけでなく,楽しいからこそ今の生活に満足してるし続けていきたいと思ってる。

 

失ったものが大きかったからこそ,同じぐらい大きいものを手に入れられたのかもしれない。

本当に,ありがとうございました。あたしはこのまま進んでいきます。

 

 

 

広告を非表示にする