それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

「引き寄せ」が使えても誰も幸せにできなかった話。

確かに不特定多数にはウケないが,仲良くなった人,自分が好感を持っている人には告られるというのは,とてもありがたいことで,そのうちの何人かとはもう少し進んだ関係になったりする。あたしも一定以上の好意を持っているから。付き合うことになったり,一緒にいる時間が増えたりする。非常に単純化した意味で,これらの現象を「引き寄せ」と呼んでいる。

向こうが付き合いたいというから付き合う,願いが叶った彼らは幸せだっただろうか。いつもいつも,自分も好きで相手も好きだと言ってくれる人と一緒にいれることになるあたしは,幸せだっただろうか。相手の幸せなんて今となっては分からないけど,自分が幸せだったかも分からなくなっている。相手に好意を持たれて仲良くなったところで,最終的に付き合うか,相手の年齢によっては結婚しないとゴールじゃないことが多々あった。付き合いも結婚もせずに終わった人間関係でも同様のこと,彼らや自分は幸せだっただろうか。

 

少なくともあたしは幸せだったと思う恋愛が一つだけあって,去年まで5年付き合っていた割と年上の彼である。あたしと付き合い始めた頃には既に適齢期で,婚活すべき時期にお金と時間を全てあたしに費やしていた。あの年齢の人と5年付き合っておいて,結婚を相手に合わせようとする意志の無かったあたしは,もっと早くに別れるべきだったのかもしれない。

 

 

2年前に初めて会って,話して2秒で「この人めっちゃいい人だ!」って思った人に,最近再会することができた。初めて会ったときも結婚してなかったけど,この前会ったときも色々と相変わらずだった。彼は今年36歳らしい。

適齢期を過ぎて結婚してない人を大きく分ければ,「別にしようとすれば結婚できるタイプ」と「独りの余生を覚悟していかなきゃいけないタイプ」に分けられると思っている。なぜかあたしは,後者の中から原石を見つけるのがとても好きだ。話して2秒で「原石系男子」だと思って以来,ああいう原石系こそいい人と結婚できるといいよなぁと思っていた。そして再会した。

 

冒頭の「引き寄せ」の話に戻ると,黙っていても寄ってくるのは「別にしようとすれば結婚できるタイプ」だ。学生とか年齢が若い人もこちらのグループだろう。彼らはみな自信がある。言い換えると「独りの余生を覚悟していかなきゃいけないタイプ」には,ある程度こちらが能動的に働きかけ,自信を与えてあげる必要がある。むしろ,全力で好意を示して相手に自信を与えてあげることができれば,こちらに好意を持ってくれる。

人生に能動性を求めるあたしにとって,原石系男子を追いたくなるのは仕方がないことなんじゃないか。5年付き合った彼も,完全なる原石系だった。掘り当てた自分を褒めた。

 

 

そうやって追いかけた人や,なぜか寄ってきた人の両方から好意を持ってもらい,あたしはかなり自分勝手に生きてきた。とりわけ,寄ってきた人への最後の扱いは本当に酷かった。彼らは「別にしようとすれば結婚できるタイプ」なんだからまぁいいだろう,と思っている自分がいる。彼らは原石系というより完成系に近いのだ。彼ら自身のスタイルを気に入る女の人と,次があるのだろう。あたしは合わなかったけど。

あたしが後で想いを巡らすのは,いつも原石系の方である。

 

 

ただし,追いかけることも自分勝手な行為/好意だな,と我に返ったのもつい先日。5年付き合った彼と別れたときのように,今もなおあたしは進路が確定していない。全てがあたしの希望通りに運んだ場合,数年は日本にいないだろう。あたしは未だに,相手への責任を持ち得ないし,相も変わらず意識の逆さをこじらせて夢を追っている。失敗を繰り返し懲りてきたからこそ断言できるけど,最終局面ではいつも相手よりも目標の達成が大事。

 

好きになった人に好きになってもらえて,付き合う付き合わないをあたしが判断できる状況になることも多々あった。それを喜んでばかりもいられないときが,あるんじゃないか?特に原石系に対しては。

完成系にも原石系にも,自分は幸せにしてもらってきた。にも関わらず相手を散々不幸にしてきたものの,酷いときは,あたしも不快になっている。あたしはいったい何を「引き寄せ」たというのだろう。

 

 

36歳原石系男子との再会が嬉しかった。笑顔で話してくれれば嬉しかったし,あたしも笑顔になってた。でも働きかけることなく,今後もう会えないであろう人に背を向けて帰ってきた。

「あたしはあなたまで不幸にしませんよ」と。

 

 

引き寄せる能力を全く有効活用できていない。恋愛対象としての誰かではなく,目標を引き寄せられるといいな。あたしにとって必要なのは,「大切にしたくなるような大切な何か」なのだと,今になって分かった。そしてそれは,人じゃなくてもいいのだろう。