それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

お礼状の形式でお茶会レポ。

拝啓

春爛漫の候,皆様ご清祥のこととお慶び申し上げます。この度は茶事にお招きいただき,ありがとうございました。朝晩はまだ冷え込む日もありますが,お庭の花々が今日に合わせたように満開であったことや,お菓子とお料理,茶花などからお茶室でも春を感じることができました。

待合で自然を鑑賞し集まった人々と会話をし,お料理に舌鼓を打ちお茶をいただくという茶事の流れを細分化していけばいくほど,それらは日常の中の出来事なのではないかと今回のお茶会で感じました。これまでは,お作法も茶室の中だからその行為をしているのだと思っており,茶室で起こることと現実との関連をあまり感じられず,茶道は現実の生活と隔絶された非日常を楽しむものなのではないかと思っていました。ですが本当は,茶道およびお茶会とは,理想的な日常を一日に凝縮したものなのではないでしょうか。腰掛待合で待つ間に漂ってくる鰹を焼く香りを味わい,旅先で気に入った器を香合にしようと考える,茶事の中には日常的な楽しさもふんだんに含まれているということを肌で感じました。

それが亭主により再現され凝縮されたものを,数時間のうちに楽しむことができるという点において”非”日常なのだと思います。時計を持ち込まないなど,お茶会のときに流れる時間は明らかに普段流れる時間とは異なっていますが,もしいつもの生活でも時計を見ずに過ごし一日かけて時間をたっぷり遣うことができたなら,茶道に対し現実との乖離をあまり感じなくなるのかもしれません。

平素はかなり簡素化したお点前に触れていますが,それだけでは茶道のあらゆる要素を楽しめているとは言えないと思いました。お道具やお花の名前も,まだまだ知らないことがたくさんありますが,それらは知識として知らずとも生きていけるものではあります。しかし人々の生活を豊かにできるのは,自分が知っている以上にこの世があらゆるもので溢れていることを知識として知ることと,時間を気にせずたっぷり使うことなのではないか,と考えさせられました。そして,白湯に浮かぶ一枚の花びらに心が踊るほど,毎日は感動の種で溢れているのだと気付くことこそ,毎日を豊かにする最大の方法なのだと思います。

これらは茶事全般における先生と奥様のお心配りによって気付けたことであります。このような気付きを得ることができたこのお茶会は,忘れられない想い出となりました。皆様と一期に一度の会を一緒に創りあげることができましたことを,本当に嬉しく思います。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。花冷えの時節柄,どうぞご自愛ください。

                                          敬具

平成26年4月2日

 

 

追伸:これの英訳を読んだネイティブからは鰹のくだりにコメントが集中しました。