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それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

落ち込んだりもしたけれど。

入学当初から仲良くしてもらって,あたしの運気が低迷したときは延々と愚痴を聞いてくれていた先輩が卒業してしまうので「あたしも独り立ちしなきゃいけないですね」って言ったら,その先輩が「独立するっていうのは誰にも頼らないことじゃなくて,依存してないけど困ったときにスッと話せる人がいることなんじゃないか」みたいなことを言ってた(意図と違ったらすみません)。

 

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フェリーの上から餌投げたらここまで寄って来てくれた

 

能力と努力と現状分析と適切な判断の欠落のせいで望み通りの進路を進めてこられなかったためか,今まで失敗を引きずり意識の高さをこじらせ続けて,もっとレベルの違う自分になれれば,出逢う人間や仲良くなる人間も変わると思ってた。別に間違いではないと思う。でも,確かに今と違う自分になれれば知り合う人間の総数は増えるけど,今のままの自分を好きでいてくれる人こそ,一番仲良しでいてほしい。その人たちほど貴重な人はいない。

どうして将来出逢うであろう多分すごい人を勝手に欲して,今とは違う人に好かれようと,今じゃない自分になろうとばかりしていたんだろう。どうしてそれを成長だと思ってたんだろう。

 

理由としては,「この程度」の自分といてくれる人を「その程度」なんだよなぁと思い続けてたこと。自分と仲良くしてくれる人が数十人に一人ぐらいたまたま変な人だと,ああやっぱり自分が「この程度」だからこんな人が寄ってくるんだと思っていた。まれにいる変な人のせいで余計に自信をなくしたりしてた。別に変な人ってそこら中によくいるもので,そのうちの多くとは関わりが無かったりしてどうでもいいだけ。その中の悪い人だけを見てくよくよしてるべきじゃない。悪い人以外の,本当にあたし以上の人たちの凄さに気づけなくなる。「この程度」の自分の周りにも人がいてくれて,その多くは「あたし程度」なんかじゃない。例えば自分がもしすごくなったら「それなり」の人と出逢うのは至極当然で,「この程度」なのに仲良くしてくれてることにこそ価値がある。

自己肯定感の低さは害が多くて,人を傷つけようとする他人の言葉ばかりが心に留まり続ける。って言うと被害者みたいだけど,きっとあたしも,誰かを傷つけるような言葉を遣ってきたのだろう。そして,もう取り返せないものを増やし続けてきた。確かに一刻も早く手放したほうがいいものも,手放してあげるべきものもたくさんあった。それらの多くの場合,あたしが自分に対して歪んだ評価をしてなければ,そこまで取り返しのつかない,少なくとも後味の悪くない手放し方もできた。誰かを責めたところで,あたしの自信なんてつく訳が無い。そして,必死に褒めてくれた人の言葉でさえ,きちんと受け取れていなかった。

 

だからあたしにはもう甘えられるものも拠り所も無くなったし,実際には今もそうなのかもしれない。でも,さっぱりした愚痴の吐き方も分からず人に迷惑をかけることも正しくない。冒頭の先輩の言葉を思い出すと,今のあたしには話をできる人が何人かいる。つい先日,普段人に言わないことをかなり喋ってしまったのだけど,相手をちゃんと選べばどんどん話してもいいものなんだなって思った。力になってくれたり励ましてくれたり具体的な話をしてくれる人って,思ってる以上にいる。たまにいる変な人の言葉はあまり聞き取るべきでない。

 

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あんなに強い向かい風の中飛んで,餌までキャッチできるのホント尊敬します

 

低い自己肯定感とか心ない言葉とか現状とかに足を引っ張られて,何度も何度も沈みそうになるけど,あたしはまだ,中に空気を残した風船だ。失ったものやなくなってしまうものばかり見つめて生きてきたけど,じゃあ何を持ってるんだとか言われれば答えに窮するけど,あたしは何も空っぽじゃない。あたしが無下にしてきた人々も幸せになっていってるみたいなので,多分嫌なことの後にはいいことがある。しばしば落ち込んでたあたしも,それに続きたい。

 

 

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