それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

嬉しくて右手で口を塞いだ

書きたいことがぽんぽん浮かんで来るのに書き留められないまま年末だ。

 

去年の末に「この人間関係でいいか常に自問自答する」やら「まだ見ぬ誰かともっと仲良くなれたらな」とかいう目標を立てていた。自問自答していた結果,その時々で人間関係が終わっていって,同時に始まって,また終わっていったりした。目標自体かなり達成できたし,その結果にも納得してる。人間関係はただ長々と続けばいい訳じゃない時があって,きっとその切れ目に敏感でないといけない。ただしこれは「その人間関係を続けたい」っていう意志の無い場合の話で。幸い今の自分にはずっっと仲良くしてほしい人達がいて,その人達と,訳あってずっとは仲良くできなさそうな人との区別がハッキリしたっていうか。それを明確にしないと色んな人に時間を使うことになりそうだし,去年はそのせいで重要じゃないことに時間吸い取られてたから。

まだ見ぬ誰かというのは「すんごい仲良くなれる女友達」をイメージしてたけど,これまでに知り合ってた女の子達とより仲良くできたかなぁと思ったのでそれでよし。もちろん,今年初めて知り合った人とも仲良くなれました。

 

 

自分達で立ち上げた団体を早々に引退したら,会う人のバリエーションは圧倒的に少なくなったものの,人と仲を深める時間が増えた。自由(に感じる)時間が増えたけど,そばにいる人や自分の不甲斐なさばかり目について,心のゆとりは去年とそんなに変わらなかった笑  意識高いをこじらせてばかりだったので,人に害のある意識の高さはいらないと反省。

 

去年起こったことや思っていたことは随分変化があったけど,もっと何年も前からあったことは,やっぱり変化していない。昔を思い出したり,それが昔ではなく現在もだと感じられたりするとき,非常に窮屈だ。腹立つとか苦しいとか悲しいというより,窮屈っていう表現がふさわしくて。それこそ狭苦しい心の中が窮屈な気持ちで満たされて,あたしは自分の不機嫌のことしか考えられなくなる。

それでも。

 

「こうありたい自分」があるのなら,そうなれる行動を選択していけばいい。そうでありたいというただそれだけの理由で,ありたい自分でいようとすればいい。褒められても貶されても否定されても,誰に何を言われても,生きたいように動き続けないといけない。って,茶道で卒論書くんですって教授たちの前で卒論の構想発表した後に思った。笑

 

でも,去年悩んでいたことは解決した。誰とどこで何をするか何も決まっていなかった状態からだいぶ進歩した。大学院に行くことと,どこの大学院を受けるか,誰と「いない」ことに決めたのが,本当に大きかった。当面の目標,きっと何十年もかかる目標も決まったので,誰とどこで何をするのかも決まったんだと思うし。それだけでもあたしにとっては嬉しいこと。そしてここから,誰といれるか,どこに行けるか,何をできるかは本当にあたし次第。

 

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気づいたら,来年は修練しなきゃいけないことばかり。闇雲だった去年と違って「これを頑張ろう」って思える土台が今年揃ったからだろうけど。

 

目標としては,「面白くない愚痴を言わない」ようにしよう。そしたら愚痴るときにハードルが上がって結果として愚痴が減りそうだ。あとは院試に受かって,つまり今までとは違って,受かろうと思ったところに受かれるようにしよう。引き続き英語を一番頑張りたいし,教育実習と院試の前にIELTSを受けよう(早めに申し込めば増税前の価格らしい)。あたしは受験が排水溝よりも嫌いなので,多分受験期は私生活も持ち崩すかもしれない。けど,受験終わった後に必死に修復にかかるので許してください。もう過剰な意識の高さで失わなくてもいいものまで失ったりしたくない。

 

そして,劣等感や嫉妬,不安や苛立ちその他もろもろの,自分の不機嫌に無関心であろう。と思ってたら早速カラスの糞が美容院直後の頭に直撃したけど,不機嫌になる以前に自分のベタさに愕然とした。

 

 

総じて,糞が落ちてきても幸せだと思える一年でした。ありがとうございました!

来年もよろしくお願いいたします。

 

 

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