読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

批判してくる人は,私を助けるだけの能力がない

生きる心構え 人間との関係

他人の批判にばかり耳を傾けて

批判を聞きたくなくなって

否定されないように生きていると

どんどんつまらない人間になる

 

これまで何をしてきても

「なんで?」とか「えー」ってまず言われた。

そのたびに責められてるような気持ちになった

 

 

誰もが知ってる「普通」は「こう生きるだろう」みたいな規範を

あたしが知らないだけですか?

 

内心反発しながら

でも表面上おとなしくしながら

ひっそり生きてたんですが

ズレた感覚のくせに「普通」であろうとすることをやめて

自分のしたいことを

本当にごく一部の人に話してみた

 

人生が動いた

 

 

人は自分の手に負えないものに対して

「無理」という。

それは,あなたにとって無理なのでしょう。

 

 

人は,自分がやろうとも思わないことに対して

「なんの意味があるの?」という。

意味がないのではなくて

あなたが一生知ろうともせずに過ぎていくだけのことでしょう。

 

 

そうやって反論できるだけの要素をあたしは持っていない。

でも,なにかしらあたしの力になれる人は

絶対に批判以外の言葉をくれる

単なる疑問に近い批判をする人たちより

はるかに建設的だったりする

 

そして一生のうち会える人間の中で大事なのは

批判以外のことも言ってくれる人なのだと,

人に助けてもらえて

自分のとんでもない野望を成し遂げる方法を一緒に考えてもらえて

堂々と自分のやりたいことをやりたいと伝えられて

それに対して「よく頑張ったと思います」なんて初めて言われて

ようやく気づいた

 

自分が今まで気にしていたのは

大事じゃないほうの人たちだったんだ って

 

 

あたしのしたいことに対して

単純な疑問レベルの批判をしてくる人は

明らかにその分野に対して知識不足だし

だからこそ建設的なことは言えない。

 

つまり

自分を批判してくるだけの人たちには

自分を助けるだけの能力はない

 

 

そう思ったら非常に楽になった。

世の中には我慢したりくよくよしたりしてまで

聞かなくていい批判がある

 

 

人に批判されようとされなかろうと

無理なものは無理だ

同様に,できるものはできる

 

だから余計に,

人の言うことは気にしても良いことはないな

 

 

あたしがこれからしていくことは

異質っていう意味で意味不明だと思う。

これからも引き続きいろいろ言われる。

だからこそ,聞き流す術が必要だ

 

 

広告を非表示にする