それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

(自分の望む分野に関して)協力してくれる人

最近の人生の動きようはすさまじい。

 

哲学っぽい授業をしてるけど何の先生なんだろうかと思いつつ

茶の湯の哲学の話をしたら

同じ表千家で講師をされている先生だったりして

思いがけず茶と哲学は繋がる

 

「うん,茶道は哲学,実践哲学だと思う

 

黙ってたけど(茶道のこと)なんでも知ってるよ笑

打てば響くからなんでも訊いて」

「(゚д゚)」

 

しかもその先生の茶の湯の師匠

かなり有名人だった。

最短距離で繋がった。

 

必修科目を来年に回してでも

単位不要でも

その授業取ってよかった

 

 

教育学と茶の湯をどう無理やりにでも関連させようか

教育学部の指導教官も巻き込み苦心していたところ,

「もう社会教育の枠組みを出てもいいんじゃないかな」

「え」

「公民館とかカルチャーセンターとか

どこかで聞いたことあるような論文じゃなくて

なんでここ(の学部)でこれやるの

みたいな論文のほうがあなたに合ってるよねw

…っていうとプレッシャーに感じるかもしれないけど」

 

 

まさかの許可

 

 

さすが1年生の頃から世話になり倒してるだけあって

どれだけあたし(のキャラ)を理解してるんだ

そして

あたしの将来の展望(願望)を知ってる上で

好きにやらせてくれる教官は

どれだけ心が広いんだろう。

 

 

 

大っぴらに言えないけど(言ってるけど),

哲学がしたくて

そこに教育っていう視点はあたしにはなかった。

 

でもそれが言いづらい空気の中で

大人しくしてようとしてもいいことなんて何もなくて

生きづらいだけだった。

大学教授を諦めた頃からあたしの人生は止まってた。

 

 

今年の春から自分の中で温めてきて

願望でしかないような夢を口に出すと

自分でもトントン拍子すぎじゃないかと思うぐらいに

協力してくれる人が見つかった。

 

人はよく分からない夢を持っている人を

笑いもするし,

賭けてみたりもする。

 

 

能力の代わりにやる気しかないから

傾ける場所がずっと欲しかった。

でもそれは誰かが用意してくれるものでもなく

あたしの年齢的にこれから見つけるものでもなさそうだし

いま手荷物の中にあるものから探り出すものなんだと気づくのに

数年かかった。

 

これから手に入れるであろう素晴らしそうなものより

自分が価値を感じてるからこそ手荷物に加えてるもののほうが

よっぽどあたしの未来をつくってくれる

 

 

 

3月ごろの日記に,

やりたいことをなんとかして哲学と結びつけようと

躍起になってるのがあったけど笑,

解決策は自分で思いつくようなものであるとは限らない。

 

哲学を研究したいのであれば

○○哲学って名前の学問が近いようにも感じるけど

遠回りをしたように見えたあたしの選択は

間違ってなかったと

ここにきて思えるようになった。

でも本当に間違ってないかどうかは

自分次第だと思う。

 

ベンチャーでもない

どっぷり教育でもない

やっと自分で

闘う場所を選べた気分

 

 

人生がいい方に向いてきた。だなんて感じられたこと

久しくなかった。

珍しい転機なので

ちまちま綴っていこうと思う

 

 

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