それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

The world's a playground.

自分で人生を動かしているという感覚こそが好物な

にわか実存主義のあたしにとって

この1,2年間 停滞してた理由が分かった

 

 

結論から言うと,

哲学の中でもあたしは

Tea Philosophyがしたい

できる限り日本以外の場所で

 

この結論が言えるようになったのは

ゼミの教官に卒論の相談をしてからだった

 

 

「いや,院は考えてるんですけど

教育学の院に進まないと思うんですよhahaha」

「あー,もっと単刀直入に言ってよ」

「言いにくくて…

哲学のですね,

Tea Philosophyっていうか茶の湯の哲学をやりたくてですね」

 

最初はあたしが用意していった「教育学の中での」興味を

いかに卒論にするかの話だったのに

そこからはいかに茶の湯を教育学に結びつけるかの話になる()

 

 

「もう正面突破しようか

どうやって大衆に普及していったかとかは

なんでも社会教育なんだよ」

「いや,茶の湯はこっそりやるつもりだったんですけど…」

「ごまかなさいほうがいいよ

こういうことやるつもりですってはっきり言っていったほうがいい

 

学部と違うことするのは本当に苦労するから

少しでも近づけていったほうがいい

今から哲学も英語も勉強しなきゃいけないんでしょ?

全然関係ないことを同時進行って本当に大変だよ」

「経済をかじってたときに実感してますw」

「ああ,もとは経済行きたかったの?」

「いえ,もとからビジネス書好きで読んでたんで

自己啓発とかも含めて」

「あー全部繋がった」

「あたしの中では全部繋がってるんですよ」

「将来"あれとあれが繋がってたね"なんて話できるといいね」

 「(;ω;)」

「もしかして僕英語で推薦状書いたりしなきゃいけないの?w」

オセアニアなら要らないはず」

「あぁニュージーランドね」

「いや~,ニュージーはレベルが高くて…」

「推薦状の英語のレベルが低いとか言われたりしてねw

"英語での推薦状の書き方"とかいう本買わなきゃいけないのかな笑」

 

 

キツいこのゼミに入って良かったと初めて思えた

大人しく教育学の論文を書いていようと思ったけど

言ってみてよかった。

ちゃんとゼミの教官(他専攻から移ってきた人)を選んで良かった

 

 

多分味方はゼミの教官しかいなくて(),

学部内の風当たりの強さはもう今から容易に予想できる

でもどうせ大人しくなんてしてたって

誰もあたしの将来の責任なんて取ってくれない上に

あたしのやる気を削ぐことが得意な人は多いから

そんな中でもやる気削がれてないで

自分で人生を動かさなくちゃいけない

 

 

そんな訳で,あたしの人生はちょっと動き始めた。

久しぶりに人生を「ちょっと動かした」と言いたい。

自分の描きたい将来を人に話すことは

能動的に生きる第一歩なのだと学んだ

 

 

「こうしたい」に対して「こうしたら」と言われ

実際に「そうできる」環境にあることも必要で 

やっとスタートラインに立つことができた。

ただ哲学したい,成長したい,だけでは前に進んでいかなくて

茶の湯の哲学(あたしはTeaismって言葉をよく遣うけど)をやるんだ!って

いうスタンスはできるだけ明確にしたほうがいい気がする。

今までスタンスが曖昧すぎて勝手に苦しんでたから

 

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あたしの人生やばいほうに行きそう。

Teaismも人生の一歩であって目標であって

長期的にはTeaistになりたいって話は

また今度。