それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

どうして人間には「軸」が必要なのか

「学生から見た大学への期待と現実」について

話す機会があった

 

どんな大学か知らないまま

なんの期待もせずにここに来たあたしは

いいことも悪いことも

それなりの洗礼を受けた

 

 

一番うだつの上がらなかった

去年の1月~2月頃から今年の2月までについて話していたとき

今のあたしにはもう

なぜ自分がしんどかったのか分かってた

 

 

自分の優れている部分を自覚している人や

成長することへの意欲が高い人の中にいるとき

将来が決めきれない人間はことごとく居心地が悪い

(周りの人間もそうだとしても,です)

 

どんどん自信をなくしていくし

実際にダメな人間になっていく。

あらゆる行動が空回っていくからだ

 

頑張っていることが将来の何にも繋がってないと思ってたし

してきたことを今振り返ってみても実際

何にも繋がっていかないことが分かった()

 

 

素晴らしい人間になるためというより

自分が平気な顔をして生きていくために

何か突っ込まれたときに言い返せるように

他人の声に落ち込まされたりしないために

 

「スタンス」って意味での「軸」が必要だ

 

 

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先生になる気なんて一度も起こしたことがないし

(NZでなら労働環境としてちょっと考えた)

ビジネスサークルしてた頃から

起業したかったわけじゃない

 

「あたしは大学院に行くもんだと思ってる」

と言い続けていれば

どれだけ楽に過ごせただろう

しかもそれは嘘じゃない。

嘘じゃないと言えるようになったのは

つい最近のことだけれども

 

 

たとえば。

あたしはこの人が好きだと思って一緒にいるのと

この人が好きなんかなぁと思いながら一緒にいるのは

過ごしてる時間が全く違う

 

スタンスって大事。笑

 

 

人間あらゆるところで

軸を振りかざして

楽になってる

 

 

ちなみにあたし自身は

これまでの2年間の大学生活に関して

いずれ自分が味わうであろう苦悩を

早めに味わったんだろうなと思ってます。

「早めに遠回りをしておいた」と。