それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

周囲の人間とあたしの幸せは絡み合っていて

今は何を努力してるのかよく分からないけど

自分のしたいように気持ちに素直になることが増えた。

定期的にその相手は変わるけれども

自分のわがままに付き合ってくれる人がいつもいてくれる

 

 

偉大な偉大なあの人以外の人との付きあいは

こんなにも不安定で放っておくと崩れそうで

これ以上心労を増やさないでほしい

(学生って楽なことが最大のメリットでデメリットなのね。

これからそういう部分をもっと知っていくのよね)

 

実際,目の前の一挙一動には全く気を揉まない5年弱は非常に楽で

でもそれは,いつかぶつからなくてはいけない壁に目を瞑ってただけだった

心労とかいうレベルでなく負担で

本当は解放されたくて仕方なかった

 

 

実際に解放されてみて,もっと精神的にキツいかと思ってた。

女は泣くことで感情を整理するって言われるけど

あたしはここまで一度も大泣きしてない

 

泣いたり悲しい気分になってたら,決断する意味がないというか

ちょっとでも思考をかすめさせるには,重すぎるので。

 

押し入れにしまい込むことを片付けだと思ってる人みたい

目の前からまず消して

あったことも忘れてしまおうとして

 

 

あたしは恵まれていて,

誰かを独りにしてしまった後でも,あたしは独りじゃない。

でも自分が独りになりたくないなんて気持ちは本当になくて

自分が独りになることになっても,同じ決断をしたと思う。

 

独りとか二人とかそれ以前に

あたしは自分をどうにかしたくて仕方ない

未だに。

 

成長できないと判断すればあたしは

また次へと移行するのかな。

自分以外の部分を変えただけじゃ

あたし自身は変わらないんだけどね。

 

 

身の回りにあったものを切り離して

まあゼミやら卒論やら院試やらに不安はありつつ

何かが少しずつ良くなっていってるような気がしてるし

もとからこういう状況だった気もする

全部あたし次第でしたね

 

 

自分の内言に耳を傾けてみると

「どうにかなりたい」っていう想いしか巡ってない

恥ずかしい

 

なんてシンプルで,なんて面倒くさい脳なんだろう

本当は今すぐ幸せになってしまいたいだけなんだろうに。

ここで終わりたくないのか 認めたくないというか

 

 

たとえ今のままだったとして

何が不幸なんだろう

 

欲張らないから

自分以外のものに頼らないから

甘んじないから

「このまま幸せでいさせてほしい」

だなんて

非常にあたしらしくない言葉

だけど本心だ