今日のための努力に変えてみる
「今まで将来のために
どこで役に立つのかも分からない,意味分からない勉強をしてたから
これからは意味の分かる勉強をしたいです。
将来のための勉強じゃなくて
何の役に立ってるか今分かるような」
この発言をした後輩は
すごーくありふれた言葉になってしまうけど
今を生きることを大事にしているようで
あたしは自分の言葉を陳腐化させたくないから
今を生きるっていう表現は避けるけど
その後輩とやりたいことは変わらないだろう
*
必要単位は足りてるんだけど
専門の授業を来年に回してまで取りたい授業があって
ベンチャービジネスのサークルにいる子たちとは
また違う方向に意識の高そうな後輩たちがそこにいました
あたしと同じような状況の子がいて
その段階を通り過ぎた今のあたしなら
何かその子に言ってあげられるかもしれないけど
その子が自分で気づいてからの方がいいだろうな,とか
クラスで最年長のおばさんは思います。
一人で考えるのはエンドレスでしてるけど
ああやってお題を与えられて考えるのもいいな
*
やはりあたしは不安なものは不安で
「こんなふうに生きていてもいいのか?」って思うだけで
落ち着いてなんていられない
だからって今までも
大丈夫そうな生き方をしてきたのかはよく分からない
*
うーん
これでは何も変わってない。
勉強に限らず
将来のためでなくて
今の自分のために生きることが第一でもいいかもしれない
物事は少なくとも裏からも表からも見ることができて
どう生きても悪い側面はあるだろうし
悪い部分を取りざたされるのも好きではない
だからって
当たり前のことに許可を求めること
もうやめたい
*
ある事柄や感情に関しては
我慢がデフォルトになっていた
明日のための今日とも言えるけど
今日があるから明日があることだけは確かで
今日我慢した自分が確実に今日不幸なら
(そしてその不幸がいつまでも拭えなさそうなら)
我慢する理由はないような気がする
()の部分不思議ですね。
こう言うと,いつまでも拭えない不幸のほうが少ない気がする
*
人や出来事に触れて思うことはたくさんあっても
ただ琴線に触れたまま放置してたらダメで
文字にでもして自分の感情を納得させないと
生き方が変わっていかないっていう
めんどくさい癖があるな 自分