それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

今日のための努力に変えてみる

「今まで将来のために

どこで役に立つのかも分からない,意味分からない勉強をしてたから

これからは意味の分かる勉強をしたいです。

 

将来のための勉強じゃなくて

何の役に立ってるか今分かるような」

 

この発言をした後輩は

すごーくありふれた言葉になってしまうけど

今を生きることを大事にしているようで

 

あたしは自分の言葉を陳腐化させたくないから

今を生きるっていう表現は避けるけど

その後輩とやりたいことは変わらないだろう

 

 

必要単位は足りてるんだけど

専門の授業を来年に回してまで取りたい授業があって

ベンチャービジネスのサークルにいる子たちとは

また違う方向に意識の高そうな後輩たちがそこにいました

 

あたしと同じような状況の子がいて

その段階を通り過ぎた今のあたしなら

何かその子に言ってあげられるかもしれないけど

その子が自分で気づいてからの方がいいだろうな,とか

クラスで最年長のおばさんは思います。

 

一人で考えるのはエンドレスでしてるけど

ああやってお題を与えられて考えるのもいいな

 

 

やはりあたしは不安なものは不安で

「こんなふうに生きていてもいいのか?」って思うだけで

落ち着いてなんていられない

 

だからって今までも

大丈夫そうな生き方をしてきたのかはよく分からない

 

 

うーん

これでは何も変わってない。

勉強に限らず

将来のためでなくて

今の自分のために生きることが第一でもいいかもしれない

 

物事は少なくとも裏からも表からも見ることができて

どう生きても悪い側面はあるだろうし

悪い部分を取りざたされるのも好きではない

だからって

当たり前のことに許可を求めること

もうやめたい

 

 

ある事柄や感情に関しては

我慢がデフォルトになっていた

 

明日のための今日とも言えるけど

今日があるから明日があることだけは確かで

今日我慢した自分が確実に今日不幸なら

(そしてその不幸がいつまでも拭えなさそうなら)

我慢する理由はないような気がする

 

 

()の部分不思議ですね。

こう言うと,いつまでも拭えない不幸のほうが少ない気がする

 

 

人や出来事に触れて思うことはたくさんあっても

ただ琴線に触れたまま放置してたらダメで

文字にでもして自分の感情を納得させないと

生き方が変わっていかないっていう

めんどくさい癖があるな 自分

 

 

 

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