それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活のなかで,考えたこと。

理想の隣には"好き"の感情がある

目標は職業である必要はない

 

10年後もしゃぼん玉の似合う女でいたい

とかね。

 

他には

1日1日に素晴らしさが散らばっていると思えるような

洗練された上質のエッセイのような毎日を送るのが理想

つまりは,

日々を洗練された気づきで満たしたいなぁ,と

 

毎日に幸せが落ちてることも

おかげさまで多いけど

単なる楽しさ以外のものに気づけることが

エッセイへの一歩だな。笑

 

どんなに落ち込みそうになっても

同程度かそれ以上にいいことあるから

楽しさに気づくことがやっぱり多いけどね

 

 

彼氏とかいうものがいることに対してすごいなーと思うのは

いつでも好きなときに好きと言っていい存在だというところ。

雑に言えば,いつでもデレることができるということだ()

 

ただし彼氏とかいう存在より手前の問題で

自分が共に過ごす相手は嫌いじゃないし,てかすきで一緒にいる

 

すきの気持ちに勝手に壁をつくったのはどこの誰だ

と思ったからか,

好きなんだと思います,と言ったときもあった。

好きと直接書かずとも,好きとしか取れない文章も書いたこともある

毎日は実験の連ぞk(実験をしてる訳ではない)

 

惚れっぽくないおかげで

遠距離でも助かってる気がする自分だけど

 人をすきになることはよくある。

これは認めてしまおう

 

だって嫌いだと思う人より

好きだと思う人の方が多いから。

そのほうが心と毎日が健やかです

 

 

でも男女問わず

もっとすごいなと思ったのは

好きとか言わなくても一緒にいてくれる人だ

 

別に当たり前じゃないんだろうけど

今日も明日も

当たり前のようにしていてくれるからあたしは

昨日も今日も,こんなふうに生きていられる

 

 

あたしの身のまわりの人は

なぜにここまであたしの身勝手なドタバタに寛大で

あたしが普通にしてるのを面白いと思ってくれる程度にツボが浅く

人を尊敬する心を持ち合わせていたりするのだろうか

 

その逆だってもちろんあるだろう

でも,上記の人々が確実にいることが

来年も生きていられる希望。笑

 

困惑するぐらい優しい人たちに挙動不審になってないで

心から感謝して実際に大切にして

なんかよく分からんけど感謝されるような

そんな人間でいよう

 

 

広告を非表示にする