それでもまだ奇跡の起こっていない人へ

お茶づけ・英語づけの生活は,おそらくまだ続きます。

「院生」という世界。

 

指導教官の授業中に就活の話題が出て話を振られたが,私は就活をしていないので同級生の話をした。指導教官に「あなたはそういうのを見て就活バカバカしいって思って院に来たのね」と言われ,いや,進学を決めたのは就活の時期より前で,私は就活してないんですけど…とまで言ったところで,気づいた。あ,就活うまくいかなくて院に来たと思われてる。実際には,うまくいかなかったのは他の大学院入試の方である。*1

隠してた訳ではないけど,自分の語学力のせいで,海外の院を目指していたことなど確かに恥ずかしくて言えない部分はある。院への進学は中学生の頃から考えていて,2年間ほど進学を放念していた時期はあったものの,最終的にはこうして念願は叶ってると考えていいのに。この「就活とかに失敗した人が来る世界」という大前提はなんだろう。

 

日本人院生のほとんどは社会に出る前であり,頭がいいと周りが言ってくれる環境の中でしか(まだ)生きていない人も多く,妙な自信に支えられている人も少なくない。

かと思えばそういう人しかいないのでもなく,院生の友達と話していたのは,「今死んでも誰も困る人はいない。遺体の処理ぐらい」ということだった。調査に協力してくれた人へのありがたさと申し訳なさに,こうして生かされているところがあるものの。

「その研究は社会の役に立っているのか」というのは根本的には愚問で,社会不適合そうな人間を世に出さずに留め置くことが大学院の役目であり,社会に出ないことが唯一自分にできる社会貢献なのだろうな。という結論にだいぶ前から達している。

と言いつつ私も社会に出ようとしているのか,今は有給インターンをしていて,修士での研究よりも学部での専攻に近い方の仕事をしている。それでお金は発生する。「この仕事は社会の役に立っているのか」。給料をもらえていれば「今死んでも誰も困る人はいない。遺体の処理ぐらい」と思わずに済むのだろうか。

 

地球上の上り坂の数と下り坂の数が全く同じであるように,「生きていてもいい人生」と「生きてなくてもいい人生」は,全く同じものを指している。

高校受験で不必要に多く失敗した頃からずっと「生きていてもいい人間」になりたいと願ってたけど,未だになれていない。けれど,どうしても突き動かされずにいられないものを見つけて,大学院に入るまでも色々失敗しつつようやく,今生きているのは「生きていたい人生」だなと思えるようになった。生きていてもいいかどうかを,ようやく気にしなくなってきたのだろう。

「社会の役に立っていれば生きていてもいい」のだろうけど,それは同時に「社会の役に立っていないなら,生きていなくてもいい」ということ。「生きていたい」と思える人生を送っていたいので,そう思える環境として今の院にいる。

研究対象にもよるけれど,突き詰めれば「この問題意識の元でこういう動きをしてるのは,世界でも自分だけだな」と思える。それは院が素晴らしいとかそんなことではなく,「そう感じられる場が会社なのか院なのか」という違いなのだ,ぐらいの気持ちでいる。

 

夢も希望も身も蓋もない話をした。

修了した後のことは,死んでなきゃ生きてるだろう,ぐらいのことしか言えない。なぜなら,私の人生では目指したものこそ叶わないから,言いたくないのだ。でも,院への進学は叶ってるので,この時間は大事に生きたい。

 

*1:実は指導教官と初めて話してから1年半ほど,なぜ私が秋入学なのか一度たりとも尋ねられたことがない。「訊かれない」ということは「話しづらい過去だと思われている」ということだったのかもしれない。私の語学力を鑑みれば,海外の院に出願していたとは考えが遠く及ばなかっただろう。

上質な「問い」であれ。

 

後輩を見て「あの子(たち)も隅に置けないな」と思うことがあり,次の瞬間には「片やこっちは隅に置かれてる感」が残り,「ここが隅ならどこが中心だよ」と自分に問うた。

冷静に考えれば,このケースではその子たちが中心だ。そもそも当事者でもなんでもなかった私は,隅でも中心でもない。なんでもかんでも渦中だったら辛いので,自分のいたい世界の中心でいてこそ,「中心と隅」という概念が活きる。

 

例えば,私がよくいう「コミュニティの中でなぜか茶人キャラが一人いる状態」では,その茶人キャラは周縁にいるのだろうか?

お稽古止まりでない,自分で茶会をしたりするレベルの人は,放っておいても「お茶とは何か」とか「茶人とは」って考えてるけど,お茶に触れていない大半の人は,そんなこと絶対に考えない。そこに茶人キャラがいたり,その人のお茶を飲んだりすると,「茶人ってなんだよ」っていう問いが生まれる。

お茶について考えてる人に「あれは茶人じゃない」とやいのやいの言われることが負けであるというより,お茶とは何かと全く考えたことのない人に,少しでも何か思わせられる人の勝ちだと思っている。隅なら隅にいるなりに,できることはあるかもしれない。

 

そしてたまに自分も「Teaist」って呼ばれたり,「さすが茶人ですね」とか言われたりして,この人どういう定義で茶人って言ってるんだろうとか思うけれど,その人なりに「茶人とはこういう人だ」っていう答えが生まれてるんだろう。私が茶人を名乗って,それに相手が違和感を感じないのなら,そのとき自分は答えにもなっているのだと思う。

 

だから私の存在は「問い」でありたい。

その存在が「答え」でもありたい。

 

お茶の世界は,中心に行きすぎると,無邪気な問いではいられない。
それでも前に出た人の一握りだけが,答えになっている。


お茶をしていたとて問いでも答えでもない人,つまり誰かの出した答えに倣ってお茶をしている人ばかりの世界に,私はいたいのだろうか。

どこの中心にいたいだろう。と考えることは,
誰に問われていたいのだろう。と考えることだった。

 

私は宇宙の形を知らないので,ここが宇宙の中心でないとも言い切れない。
今日も一個の茶筅で,世界の隅か中心で,問いを産み落とし続ける。自分自身も問い続ける。

ただそれが,私が今していること。

そしてそれがTeaismと解釈されるようになって,Tea Ceremonyに代わる言葉になってくれれば,それ以上はないと思いながら,隅だろうと周縁だろうとお茶を続けている。

まずは自身が,上質な「問い」になれるように願いながら。 

 

お茶という在り方を考える契機としての問いではありたいけれど,周りの人に「お茶の世界によくいるような批評家」になってほしい訳ではないです。

同じ「問い」を一緒に考えることができたら,幸いです。

 

 

茶道教室を辞めます。

茶道教室に向かう道中ではよく事故に遭う。その日も結構高かった服が痛んだまま教室に着くと,来年の話をされた。通っている教室では,1月から半年以内に辞める人は,初釜(新年1回目の茶事)には出られないことになっている。なんでも初釜は「今年も一年よろしくお願いいたします」という意味の茶会だからだそう。初釜には参加してもしなくても,費用を払わなければいけないことになっており,留学や引っ越しで辞めることが分かっている人は,ギリギリまで通うのではなく年内に辞めるのが一番スマートなのである。

事故って満身創痍の身体は反射的に「お初釜は出ない方がいいかと思うのですが…」と答えた。最長でも6月末には卒業して引っ越さなければいけない。その手前に修論の締切,遠方へのフィールドワーク等々が控えており,欠席せざるをえないことも増える。これでも休まずに通ったが,フィールドワークで一ヶ月丸々休んだときでも,もちろん月謝は支払ってきた。今後通えなくなるので辞める旨を伝えたら,出席する人数が減るのは困るから初釜までは出てほしいとのこと。そんなに他の方も辞めてるんですか?と訊けばよかった。それが8月の下旬のこと。

 

「伝統的」な教室はこうなのか? 地方でお茶を習っている人達とお話をした。私が通っている教室みたいな形式もあり得るのかもしれないと,控えめに「うちは辞めるときに2万払うことになってますね」と言うと,「極道」と言われた。入門の際に「学生は続かないから」とかなり断定的に言われたので,1年は続けた。地方の方々は「みんな都合があるんだから,それ(誰々は続かないとか)は先生が言っちゃ駄目だよ」と言った。

 

地方から帰ってきて,月謝は払ってあるので,引き続きその教室にお稽古に行く。

「そろそろ次のお免状(ここまでのレベルの点前を習ってもいいですよっていう免許みたいなやつ)の時期になりましたので」と申請料とお礼,お菓子料はいくらですと説明される。もう辞めるって話をしたはずだ。「お免状が届くのはいつですか?」と尋ねる。前回のお免状は忘れた頃に届いたからだ。引っ越すこともあって辞めるのに。言いたいことは半分伝わったのか,「実家の住所を届け先として書いてください」と言われる。

伝えられなかった半分は,お免状なんていらんねやあんな紙切れ,である。地方でお茶をされてる方々が「先生はこちらのタイミングを見てお免状の話をしてくださる,お金のかかることだしね」と仰っていたのが羨ましく思い出される。お免状の話をされてしまうと,もう拒否権が無く黙って払うしかないなんておかしい。

 

道教室の中のような〈お茶〉をイメージするとき,私はお茶が好きだとは言い切らない。

 

結果的に人を茶道から離れさせるようなお茶をする人達が,茶道の先生としてお茶で生計を立てているのが,一部の茶道界かもしれない。実際,私より後に入会した人で,今でも続けている人は誰もいない。

お茶を生活のための手段にしてしまったら,お茶を好きな人達からお金をとることになるのだ。だから,余裕のある先生はお茶以外に職を持っていたりする。それは都市部でも地方でも同じである。

 

 

地方で目上の方にご馳走になったとき,お礼を言うと,その方は「教室変わってもいいから。お茶を楽しく続けてくれれば,それでいいです。」と仰り,胸が詰まった。茶道同好会の中でも同じ温度の人を見つけられず,教室の見学や体験もさせてもらえないまま即入門することになった茶道教室は上記の通りで,置かれた環境で「お茶楽しいね」と言っていられる人が羨ましかった。

私は「お茶楽しいな」と言うために,こうして毎日家で(たいてい1人で)点てるほかなかった。嫌だからとすぐ辞められないものに巻かれながら,「楽しいな」と思える場所は自分でつくるしかなかったから,今のこのスタイルは生まれた。

楽しそうに集まって茶道をしてる方々を研究対象にしているけれど,そういう人達と方向性が違うなと感じるのは,人が集まることに楽しさを感じているというより,自分の中に楽しさを見つけるしかなかったからだろう。

 

お茶が好きだからとお茶業界に浸かることは,他のお茶好きな人がお客さんになることだ。

もっというと,お茶業界における顧客の大半は,そういう茶道教室を運営する側の人々である。そういう層の人を相手にしていたいのかどうか,20~30年後にその人達は存命か,そのときにお茶はあるのかを考えなくてはいけない。

茶道を研究対象にする研究者になることも,お茶で生計を立てている一員になることと同義である。別にペットボトルのお茶を売るとかならともかく,文化としてのお茶でビジネスなんて,とりわけ今はしたくない。

 

散々お茶漬けになった生活の中で出た結論は,お茶を好きでいるために茶道教室を辞めることであり,お茶を好きな人達やお茶業界の人達を顧客として見たくないから,茶道そのものを仕事にしないことだった。お茶を追い続けるのなら,就く職は逆にお茶に直接は関係ないものになるだろう。熱意は劣れど,興味は他にもいくらでもある。

 

札幌のお気に入りの陶芸家さんは私に「絶対お茶続けた方がいいよ」と言ってくださり,先週お会いした方は「そこまで言うなら一生続けるんだな」と仰り,地方でお会いしたうちの一人は「あまんじるなさん(私)から世界中の若い方々にお茶の良さがお伝え出来ますよう」と仰っていた。それぞれ全く違う文脈での話だ。

私が見てきたようなお茶が嫌いなら,今いる範囲で自分の好きなお茶をすることが最適解のように感じるし,度を超せば,時には茶道史をつくる側に回ってもいいのかもしれない。私も,このまま黙って去るつもりはない。こんなこと書いてるけど茶道の論文の締切は先だし,まだまだお茶と生きますよ。

 

数年先のことなんて知らないけど,とりあえず明日もお茶に取り組んでいると思う。自分の好きなお茶は,そこにしかないから。でも自分が点てている限り,そこに確実に存在してくれるものだと思っている。

  

もしこの記事でその教室が特定されるなら,そういうことをしてるのが周知の事実であるということでしょうし,もし当事者がお気づきになられるようなことがあれば,「自覚があるのなら控えたらどうですか?」と言うまでです。

私としては初釜どころか来月のお月謝も,相手に金額を指定されるお歳暮も支払いたくないので,この記事に気づいていただけたら逆に,これをきっかけにして今すぐ辞められるかなとも思ってます。どんな円満に退会してもどうせ2万は払うので。

問題は金額の多寡ではなく,去り際にお金を要求してくるお稽古事の教室など,真っ当ではありません。